ヤクルトでは“史上最強クラス”の助っ人として活躍を見せたバレンティン
ヤクルトでは“史上最強クラス”の助っ人として活躍を見せたバレンティン
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 個人的に嬉しい知らせが届いたのは、今月14日のことだ。「バレンティン、メキシカン・リーグに移籍」。スマホに届いたその通知は、昨年までソフトバンクでプレーしていたウラディミール・バレンティン(37歳)が、メキシカン・リーグのサルティーヨ・サラペメイカーズと契約したというニュースを伝えるものだった。

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「昨年までソフトバンクでプレー」と書いたが、バレンティンといえばなんといっても、それ以前に9年間在籍したヤクルトのイメージが強い。2011年に26歳で来日すると、この年から3年連続でホームラン王を獲得。1年目はNPB史上3人目の「リーグ打率最下位での本塁打王」、2年目は2リーグ制後初の「規定打席未満での本塁打王」という“おまけ”が付いた。

 野球ファンには広く知られているように、バレンティンには「ココ」というニックネームがある。「頭の形がココナッツに似ているから」という理由で、幼少期につけられたものだという。筆者も最初はそう呼んでいたのだが、彼の来日2年目からは「キング」と呼ぶようになった。最初は冗談交じりだったが、本人はいたく気に入ったようだったので、それから「ココ」と呼ぶことはなくなった。

 バレンティンが球史に残る“キング”になるのは、その翌年の2013年だ。「日本では投手は捕手のリードで投げるから、相手の捕手の配球も読まなければいけない」と熱心に相手バッテリーの配球を研究し、ボールを見極めてバットを少しコンパクトに振るようになったことで、打率が急上昇。ホームランもそれまで以上のハイペースで飛び出すようになった。

 余談だがこの年、日本記録のシーズン55本塁打を超える勢いでアーチを量産していた彼に「もし新記録を達成したら、何かプレゼントするよ」と軽口を叩いたことがある。すると彼は「本当か? 約束だぞ」と言ってニヤリと笑った。正直、それまで何人もの選手が挑みながら、誰も抜くことができなかった日本記録の更新は、難しいのではないかとの思いがあった。

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贈り物を受け取ったバレンティンの“粋”な対応