絶体絶命のピンチを切り抜けた直後に喜びを爆発させ、外国人打者の怒りを買ってしまったのが、巨人・笠原将生だ。
14年9月28日のDeNA戦、3対3の延長10回に4番手としてマウンドに上がった笠原は、四死球と安打で2死満塁のピンチを招く。
さらに3番・グリエルに対し、カウント2-2から投じた外角低めカーブがボールと判定され、フルカウント。次も外れればサヨナラ押し出しというギリギリの場面で、開き直って直球勝負に出た笠原は、高めに外れたボール球でグリエルを三飛に打ち取り、やっとの思いでピンチを切り抜けた。
ところが、グリエルが飛球を打ち上げた直後、喜んだ笠原がマウンド前方に歩きながら「よっしゃあ、こらあ!」と雄叫びを上げたことが、思わぬトラブルを誘発する。
侮辱されたと思ったグリエルは、憤怒の形相で思い切りバットを放り投げた。そんな空気を読めず、笠原が「Why?(なぜバットを投げた)」と尋ねると、怒りを倍加させたグリエルは何事か言い返しながらマウンドに詰め寄り、睨み合いに発展。両軍ナインが飛び出し、あわや乱闘の騒ぎになったが、セカンド・片岡治大に肩を叩かれて我に返った笠原はいち早く難を避けてベンチに戻り、チームメイトになだめられたグリエルも渋々引き揚げた。
だが、当事者2人が去ったあとも、両軍ナインの輪の中でDeNA・中畑清監督が抗議を続けるなど、騒動はなかなか収まらなかった。
試合後、笠原は「興奮状態であまり覚えていなくて……。両軍の方には申し訳ないことをしました」と191センチの体を折り曲げるようにして小さくなっていた。
これまたピンチを脱した直後の雄叫びが原因で、DeNA時代の梶谷隆幸をムッとさせたのが、ヤクルト・清水昇だ。
事件が起きたのは、新型コロナ対策から5千人を上限に有観客が解禁されて間もない昨年7月21日。6対4とヤクルトがリードした8回の守りで、4番手としてマウンドに上がった清水は、先頭の神里和毅に右前安打を許し、2死二塁のピンチを招くが、この日2本塁打と当たっている梶谷をフルカウントから外角低め速球で空振り三振に打ち取った。