ところが2日後、郷里の父の病気が悪化したことを母から伝え聞いた新庄は、父を勇気づけるために引退を撤回して契約更改。一転阪神残留を決める。これで元の鞘に収まったように見えたが、実は水面下で横浜との交渉は続いていた。

 当時の横浜・大矢明彦監督は「大矢明彦が明かす内野陣コンバートの真相『石井琢朗を売り出したかった』(20年2月26日付WebSportiva)の中で、「新庄剛志が横浜に来たいと言ってたんです。畠山準とトレード寸前まで行って。そうしたら、阪神の藤田監督がその年(1996)の夏に解任されることがわかって、それで壊れたんです」と証言している。

 もし藤田監督の留任が決まっていたら、後のビッグボスの野球人生はどう変わっていたか?これまた興味は尽きない。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

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