
常勝軍団・巨人は、優勝回数38回、日本一22回と両リーグ通じてトップの実績を残している(2位は西鉄時代を含む西武の優勝23回、日本一13回)。
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そんな栄光の数々の一方で、球団史上初の最下位に沈んだ1975年は、2リーグ制以降5位以下が3度しかない球団史(79年、05年に5位)の中でも、唯一の暗黒期と言えるだろう。
この年は、前年限りで現役を引退した長嶋茂雄が新監督に就任。高度なテクニックを駆使し、ファンを魅了する“クリーン・ベースボール”をスローガンに掲げた。
だが、長嶋とともに“V9戦士”の捕手・森昌彦、遊撃手・黒江透修も引退。トレードは一切行わず、ドラフト1位も高校生の定岡正二という端境期のチームで、2年ぶりのV奪回を目指すには、大きなプラスアルファが必要だった。
そこで、“ポスト長嶋”を担う助っ人を獲得することになった。これまで“純血主義”を貫いてきた巨人が、現役大リーガーを入団させ、王貞治とクリーンアップを組ませる新構想は、伝統にとらわれず、新たな常勝チームをつくり上げようという前向きな姿勢の表れでもあった。
リストに挙がったのは、ドジャースの三塁手、ケン・マクマレンとエクスポズの捕手、ボブ・スティムソンだった。しかし、いずれも交渉は失敗に終わり、ONのNが抜けた打線に大きな不安を残した。さらに頼みの王まで左足ふくらはぎ肉離れで離脱と計算違いが続く。
シーズン前の予想では、セ・リーグは前年の覇者・中日を中心に6チームとも実力が拮抗。投手力の良い巨人は、王が3年連続三冠王を実現すればV奪回も可能というシミュレーションだったが、開幕戦の大洋戦では、王が前記の故障でスタメン落ち。エース・堀内恒夫も6失点KOされるなど、投打とも歯車がかみ合わず、連敗スタートとなった。
その後、引き分けを挟んで4月8日の広島戦でシーズン初勝利を挙げ、4位に浮上したのもつかの間、ここから3連敗し、再び最下位に転落する。