キャンプやオープン戦で結果を出し、「活躍間違いなし」と期待されたルーキーが、シーズンでは不本意な成績に終わってしまう。そうなったのにはさまざまな理由があるが、これもプロ野球の怖さである。
開幕投手候補に挙げられながら、シーズンではまさかの0勝に終わったのが、2001年に阪神入りした藤田太陽だ。
社会人ナンバーワンの即戦力右腕・藤田は、巨人と阪神の争奪戦の末、「強い相手(巨人)を倒したい」と阪神を逆指名。「その意気や良し」と虎党を狂喜させた。
キャンプが始まると、藤田は新人では異例の初日からブルペンに入り、連日切れのある球を披露。「さすがドラ1や!」と野村克也監督を感心させ、週刊ベースボールの選手名鑑号でも、他のスター選手を差し置いて表紙になった。
2月16日の紅白戦で実戦初登板をはたした藤田は、この日の最速147キロで矢野輝弘を一邪飛に打ち取るなど、2回を1安打無失点の好投。同22日の紅白戦では、初回に安打と連続四球でいきなり無死満塁のピンチも、後続3人をピシャリと抑え、これまた2回を無失点。「気持ちの強さが出ていた。間違いなく阪神の将来を背負うピッチャーになる」と野村監督も絶賛し、球団では1955年の西村一孔以来46年ぶりの新人開幕投手も見えてきた。
そして、3月3日のオープン戦、日本ハム戦に先発した藤田は、5回を2安打3失点で白星スタート。「甲子園は投げやすかった」と笑顔を見せた。
だが、「すごいぞ!」と騒がれたのは、ここまで。同10日のダイエー戦、6回からリリーフした藤田は、2回1/3を7失点の大乱調。松坂大輔との先発対決となった同16日の西武戦も1死しか取れず、5失点KOを喫した。
そんな不安だらけの状態で迎えた3月30日の開幕戦、巨人戦、1対4の3回からリリーフした藤田は、6四死球と制球を乱して7点を献上し、無念の2軍落ちとなった。結局、1年目は3試合に登板し、0勝1敗、防御率14.73。新人王候補がこんな結果になるとは、誰が予想しただろうか?