「自分は不器用。だから努力を惜しまない」。一度はプロを夢見た野球を通じて、その意気地を培った(写真=山本倫子)
「自分は不器用。だから努力を惜しまない」。一度はプロを夢見た野球を通じて、その意気地を培った(写真=山本倫子)
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 鮨職人・日本橋蛎殻町すぎた主人、杉田孝明。東京でもっとも予約困難と言われる鮨屋「日本橋蛎殻町すぎた」。その主人の杉田孝明はそれでも一流店だと思ったことがない。もとは野球少年。挫折し、張りのない生活の中で鮨職人を目指すドラマに出合った。その姿にあこがれ、鮨の道へ。有名店の主人が魚をどこで仕入れるのか、尾行をしたこともある。もっと鮨を極めたい。客の幸せな顔で、杉田も幸せになる。

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 午後5時。屋号が染め抜かれた暖簾(のれん)があがる。それを合図に選ばれし今宵の客が、店内に吸い込まれてゆく。同じ頃、真新しい白衣を纏(まと)った杉田孝明(すぎたたかあき)(48)は、客席と壁一枚隔てた調理場の片隅で、鏡を覗き込みながら意識を集中していた。そして、大きく深呼吸をしてから、鮨(すし)職人の舞台である「つけ場」に颯爽と飛び出していった。カラン、コロン。高下駄の音色が実に洒脱で色気がにじむ。

「いらっしゃいまし。杉田と申します。今日はおつまみからでよろしいでしょうか」

 角のないバリトンボイスの美声。深々とお辞儀をした後、客一組ごとに丁寧に声をかける。カウンターわずか8席。東京に数多ある鮨屋の中で今、もっとも予約困難だと言われているのが「日本橋蛎殻(かきがら)町すぎた」だ。その献立は季節の酒肴(しゅこう)と握り十数貫、〆の浅蜊(あさり)の味噌汁で構成される“おまかせ”が基本だ。

店で出す鮨種のうち、生の切りっぱなしで使うのは鮪だけ。ゆえに絶対に手を抜くことはできない。仕入れ先は、豊洲市場でも最高ランクの鮪を競り落とす「石司商店」と決めている(写真=山本倫子)
店で出す鮨種のうち、生の切りっぱなしで使うのは鮪だけ。ゆえに絶対に手を抜くことはできない。仕入れ先は、豊洲市場でも最高ランクの鮪を競り落とす「石司商店」と決めている(写真=山本倫子)

 酒肴は鮨屋らしい季節のものを少しずつ。鮨は塩と酢で締めた「小鰭(こはだ)」から握ると決めている。そして冬であれば津軽海峡産の本鮪(まぐろ)の赤身、藁(わら)で炙った鰆(さわら)、甘い煮汁に漬け込んだ蛤(はまぐり)、ふっくらと煮上げた穴子など。杉田は酢飯と鮨種を手にとると穏やかな表情で目をつむり、まるで食材の声に耳を傾け、慈しむような仕草で鮨を握る。その優美で流れるような所作は鏡に向かって練習するうちに身についたのだそうだ。

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