「当時、憧れの読売ジャイアンツには、その黄金時代を築き上げた伝説のピッチャーが2人いました。一人は豪速球で知られた江川卓でついた異名は怪物。私が憧れたのはドラフト外で入団し、その後、反骨精神でエースにのし上がった西本聖でした。天才肌の江川よりも雑草魂で這い上がった西本に共感したんです」(杉田)
ところが、そんな夢もあっけなく潰えてしまう。きっかけは6年生の夏、県の選抜チームへの招集だった。地元ではエースで4番。しかし、満を持して参加した2週間の遠征試合では、代走はおろか一度も試合に出場できず、補欠でベンチを温めるだけに終わった。実力の差は明らかで、完全に井の中の蛙は何とやらだったのだ。
「今だからこそ冷静に振り返ることができますが、当時はその現実を受けとめることができませんでした。どうして僕が……。悔しいを通り越して、胸の奥で何かがポキリと折れる音がしました」
杉田のスポーツ人生は終わりを告げる。その後、地元の中学校に進学するが、あれだけ好きだった野球には一切、目もくれない。友人に誘われバレー部に入るも中途半端。やがて、生活態度もだらしなくなり、学校の成績も落第ギリギリの日々が続くようになる。
その頃、杉田の人生に大きな影響を与えるテレビドラマに出合う。東京・下町の鮨屋に弟子入りした青年が、一人前の職人になるまでを描いた「イキのいい奴」だ。そこで描かれた職人の粋で一途な姿に憧れた杉田は、高校時代、千葉駅近くのショッピングモールに出店していた鮨店でアルバイトをするようになる。
(文中敬称略)
(文・中原一歩)
※記事の続きは AERA 2022年3月21日号でご覧いただけます。