「すぎた」の鮨は同業者の飲食店のファンも多い。その一人が東京・目黒で「鳥しき」という焼き鳥店を営む池川義輝(49)だ。池川は鮨と同じく大衆発祥だった焼き鳥を、世界に誇る和食として、広めた立役者だ。

「杉田さんの店に入ると、寺社仏閣に来たような清々しさを感じる。次に安心感。彼の握る鮨は、彼の人柄そのもの。優しくて、余韻が長い。店を出た時、ああ明日から自分も頑張ろう、そう思わせてくれるのです」

毎朝、6時起きで魚河岸(豊洲市場)にバイクで向かう。仕入れを休むことはまずないが、昨年、脱腸の手術をした当日だけは弟子に任せた。なぜならば、足を引きずる姿を人に見せたくなかったから(写真=山本倫子)
毎朝、6時起きで魚河岸(豊洲市場)にバイクで向かう。仕入れを休むことはまずないが、昨年、脱腸の手術をした当日だけは弟子に任せた。なぜならば、足を引きずる姿を人に見せたくなかったから(写真=山本倫子)

プロ野球選手の夢が潰える
学校の成績も落第ギリギリ

 予約は数カ月先まで埋まっている。名実ともに東京を代表する一軒と世間はもてはやすが、杉田本人は自分の店が一流店だとは一度も思ったことがないそうだ。

「ただ昨日より今日、今日よりも明日。もっとおいしい鮨を握ることができれば嬉しい。体力的にしんどい日や、精神的に落ち込む日も人間だからありますが、この仕事を始めてから辞めたいと思ったことは一度もない。むしろ、3度生まれ変わっても、また鮨屋をやりたいと思っています」

 千葉の房総半島にある「土気(とけ)」という町で杉田は生まれ育った。超真面目なサラリーマンの父・忠禧(ただよし)。社交的で賑(にぎ)やかなことが大好きな母・桂子。そして2歳上の兄・久郎(ひさお)の4人暮らし。杉田家は至極平凡な中流階級の家庭だった。環境が一変するのは10歳の時、生真面目すぎる父に愛想をつかした母が、家を飛び出してしまったのだ。この時、杉田は父のような平凡なサラリーマンには絶対にならないと決意した。

「おふくろは、一滴の酒も飲まない親父とは正反対の性格で、お酒好きで賑やかなことが大好きな人でした。自立心も旺盛で、私が宿題で四苦八苦しているのを見て、小学校に乗り込み『宿題の出し過ぎだ。息子が遊べないじゃないか』と担任に凄んだくらいでしたから」

 将来の夢はプロ野球選手。小学校に入学するとすぐに地元の少年野球チームに入団。体こそ小さかったが、その突出した運動神経ですぐにめきめきと上達した。

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