プーチンの周囲には、政権内でもオリガルヒにも元KGB関係者のキーパーソンが多い。AERA3月28日号では「KGB人脈」を特集。彼が信を置くのはKGB流の絶対的な忠誠心だ。
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「『元KGB』などというものは存在しない」
ロシアのプーチン大統領の言葉として広く知られているフレーズだ。一度でもKGBに勤めた者は、縁を切ることはできない。死ぬまで絶対的な忠誠を誓う工作員であり続ける、という意味だ。
KGBとは、ソ連のスパイ組織として恐れられた国家保安委員会のことだ。
元KGB将校でありながらロンドンに亡命し、プーチン政権批判を続けたリトビネンコ氏の運命は、この言葉の意味するところを、如実に物語っている。
リトビネンコ氏は2006年、ロンドン中心部にあるホテルのバーで、放射性物質ポロニウムを盛られて毒殺された。英国の捜査当局が実行犯として特定した2人は、いずれもKGBに勤めた経歴を持つ。主犯格と目されたルゴボイ氏は、罰せられるどころか暗殺事件の翌年、ロシア下院選に当選した。
暗殺も、国会議員への出世も、プーチン氏の承認がなければ実現しなかっただろう。
KGB流で地位を確立
裏切り者は許さない。KGB自身の手で、始末をつける──。KGBには法律を超越したおきてがあることを見せつける事件だった。
プーチン氏自身はといえば、子供のころから将来はKGBに勤めたいと願っていたという。
「スパイ映画にあこがれて」というのが本人の説明だが、額面通りには受け取れない。
2000年に初の大統領選を控えたプーチン氏にインタビューし、このエピソードを引き出したジャーナリストは、その後、筆者の取材に対して、冷ややかに語った。
「ソ連で最も強くて、最も恐ろしくて、最も力がある組織に帰属したいと考えただけだろう」「彼の話からは、強いコンプレックスと、負けることだけは我慢ならないという強い思いが伝わってきた」
1975年に念願かなってKGBに入ったプーチン氏は、対外諜報に従事する第1総局に配属され、85年に東ドイツのドレスデンに派遣される。
当時のソ連で誰もがあこがれる国外勤務を勝ち取ったプーチン氏だが、彼がスーパー工作員だったかといえば、そうでもないようだ。複数の証言によると、ソ連側陣営の一員だった東ドイツの情報機関との連絡や調整といった、事務的な仕事が主だったのだという。