ベルリンの壁崩壊後の混乱の中で帰国したプーチン氏は、故郷サンクトペテルブルクの副市長を経て、96年に知人のつてでモスクワに移った。
その後の昇進は驚異的で、謎に包まれている。98年7月にはついにKGBの主要な後継組織である連邦保安局(FSB)の長官に就任。古巣への凱旋を果たしたのだった。
プーチン氏はこの立場を利用して、エリツィン大統領の後継者としての地位を確立する。そのやり方は、いかにもKGB的な謀略と言えるものだった。
忠誠心と謀略的手法
当時ロシアでは、検事総長がエリツィン氏の周辺を巻き込む大規模な汚職疑惑の調査に着手し、政権にとって頭痛の種となっていた。
そんな中、ロシアの人気テレビ局が突然、検事総長らしき男性と若い女性2人が全裸でベッドを共にしている様子を隠し撮りした映像を放映したのだ。
世間が騒然とする中、プーチン氏が「調査の結果、映像は本物だった」と声明し、検事総長は失脚に追い込まれた。この経緯で、エリツィン氏とその周辺のプーチン氏への信頼は揺るぎないものになった。
プーチン氏が最高指導者となってからも、その統治スタイルからは、絶対的な忠誠心の要求と、謀略的な手法に象徴される「KGB流」と言えるような特徴が見て取れる。
例えば、2016年の米大統領選がそうだ。プーチン政権によって設立されたとみられる特殊機関が、SNSを通じて偽情報を大量に拡散。トランプ氏と大統領の座を争っていたクリントン陣営を中傷しただけでなく、人種や格差による米国社会の分断に、くさびを打ち込むことにかなりの程度成功した。
スパイの仕事というと、機密情報の入手や暗殺が思い浮かぶが、それだけではない。KGBは、偽情報を駆使して、ソ連に有利な社会情勢を作り出すオペレーションも得意としていた。こうした謀略は「積極工作」と呼ばれている。
具体例を挙げよう。冷戦時代、KGBが西ドイツに工作員を送り込んでユダヤ教の祈りの場であるシナゴーグを破壊したり、街中に反ユダヤスローガンを落書きしたりした。すると、現地にいる本物のネオナチがそれに触発されて活動を活発化させ、西ドイツの国際的な評判が傷ついたのだという。まさに現代のフェイクニュースに通じる手法だ。