「確かにいろいろな意見がありましたけど、僕自身は手ごたえがありました。僕は60年代、70年代のフォークソングを聴いて育ったんだけど、当時の歌には検閲に引っかかったり、世間の常識とぶつかり、議論につながる曲がいくつもあって。『生きてることが辛いなら』を出したとき、反響の大きさに驚きながらも、“ようやく垣根を越えて人に伝わる曲が作れたのかもしれない”という実感がありました。この曲を歌い続けることで誤解が解けたり、理解されたのもよかったですね。そういう普遍性がこの曲にはあったんだなと」
■歌の表現に正解はない
2013年に発表された「どこもかしこも駐車場」(アルバム『自由の限界』収録)も、20年のキャリアを象徴する楽曲。恋人にフラれた男性が街を歩きながら「どこもかしこも駐車場だな」と呟くこの曲は、シングル曲ではないものの、現代詩にも通じる歌詞、素朴さと壮大さを兼ね備えたサウンドなど、森山直太朗のオリジナリティがもっとも強く現れた楽曲のひとつだと思う。
「何度歌っても捉えどころがない曲なんですが、捉えどころのない感情こそがポエムの源流だし、それをしっかりポップスに結びつけられた楽曲なのかなと。歌うのは難しいですけどね。いくら感情を込めても感情が乗らないし、俯瞰して歌うのも違うし。そのときの自分の状態がすごく出る曲だなと。『どこもかしこも駐車場』を歌うと、“そうだ、自分はこういう声だったんだ”と思います」
技術や声量に頼らず、楽曲が描き出す風景や思いを真っ直ぐに伝える。森山の歌い方は、キャリアを重ねるにつれてシンプルに削ぎ落されているようにも感じる。
「歌の表現は、時期によってかなり違うと思います。最初の変化は、『さくら(独唱)』によって活動の環境が大きく変わったとき。ライブの規模も大きくなって、だんだん筋肉質な歌い方になってきたんです。当時の映像を観ると、あまりにも力が入り過ぎていて、歌うというより“戦っている”という印象。このままではいずれ崩壊してしまうという危惧が生まれ、デビュー前に家族や友達の前で、ポロロンと歌っていた頃の感覚に戻りたいと思うようになりました。まだまだ途中だし、正解はないんですけどね」