一方、91年のドラ1で191センチの長身右腕・谷口功一は、天理高時代の90年夏の甲子園で193センチの南竜次(元日本ハム)との“ツインタワー”で全国制覇。ドラフトでは、若田部健一(駒大)の外れ1位で巨人に指名され、「巨人を代表する投手になりたい」と誓うも、2年目に右肩を痛め、1軍ではばたくことなく終わった。
1年目に活躍し、“未来のエース”を予感させたのに、2年目以降、結果を出せなかったのが、01年のドラ1・真田裕貴だ。
姫路工時代はMAX146キロの右本格派として同年のセンバツに出場。AAAアジア選手権の日本代表にも選ばれた。
ドラフトでは、寺原隼人(日南学園)の外れ1位で巨人が1位指名。真田は「寺原君を目標にして、最終的に投げ合いたい」とプロでの飛躍を誓った。
翌02年7月7日の阪神戦でプロ初先発初登板デビュー。球団の高卒新人としては前出の堀内以来の初登板初勝利が期待されたが、5回を3失点と試合を作りながら、打線の援護なく負け投手に。
だが、2度目の先発となった同21日の中日戦で、1対3とリードされて降板した直後の7回に味方打線が5安打を集中して逆転。うれしいプロ初白星を手にした。
「1年目から1軍で投げられるとは思っていなかった。今からどんどん勝ちたい」の言葉どおり、8月25日の阪神戦で7回を4安打1失点で2勝目を挙げるなど、6勝3敗でチームの2年ぶり日本一に貢献。高卒1年目の投手が6勝したのは、球団ではドラフト制以降、堀内以来の快挙だった。
筆者は当時真田をインタビューした知人から「撮影中のカメラマンに“ハイ、これで終わり”とストップをかけた」という話を聞き、「強心臓のルーキーだ」と“大物感”を抱いたことを覚えている。
しかし、さらなる成長が期待された翌03年は3勝8敗2セーブと精彩を欠き、04年以降の4年間も通算3勝と伸び悩んだ。
横浜移籍後の09年に68試合登板し、11年までセットアッパーとして3年連続50試合以上登板とフル回転したあと、12年に巨人に復帰も、わずか1試合の登板に終わっている。