巨人の2019年のドラフト1位・堀田賢慎が、入団1年目の右肘手術からリハビリを経て、今春のキャンプで結果を出し、3月11日に支配下登録をかち取った。そして同31日のヤクルト戦ではプロ入り初登板初勝利を挙げるなど、今後の飛躍を予感させている。
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巨人の高卒ドラフト1位投手といえば、1965年の第1回ドラフトの1位で通算203勝の堀内恒夫の名前が真っ先に挙がる。だが、その後は85年のドラ1・桑田真澄が通算173勝を記録したのを最後に、エースと呼べるような輝かしい実績を残した投手は長い間出ていない。
桑田の翌年、86年のドラ1は木田優夫だった。
日大明誠時代は甲子園にあと1歩届かなかったが、屈指の本格派右腕として注目を集め、社会人入り内定ながら、阿波野秀幸(亜大)の抽選で近鉄に敗れた巨人が外れ1位で指名した。
本人も大の巨人ファンで、「3年後にまた巨人に指名される保証はない」という理由から入団。「目標は江川(卓)さんのような頭のいい投手」と当時のエースを目標に掲げた。
89年に1軍初昇格をはたした木田は、翌90年にキャリアハイの12勝を挙げ、リーグ最多の182奪三振を記録。次期エースを予感させたが、その後は伸び悩み、先発、中継ぎ、抑えのいずれをもこなす便利屋的存在から脱け出せないまま、98年にトレードでオリックスに移籍。巨人では実働9年で50勝57敗20セーブと素質を開花しきれずに終わったが、オリックスのあとも、メジャー3球団やヤクルト、日本ハム、BCリーグと所属チームを変えながら、46歳まで現役を続けた。
真のエースになることはできなかったものの、86年以降の巨人の高卒ドラ1組の中では、最も結果を出した投手である。
木田の翌年、87年のドラ1・橋本清も、リリーフに活路を見出したが、活躍期間は短かった。
PL学園時代は背番号10ながら、MAX144キロの速球を武器に、エース・野村弘樹(元横浜)とともに春夏連覇に貢献。巨人入団後は故障続きで、1軍登板も92年の1試合だけと伸び悩んだが、長嶋茂雄監督復帰後の93、94年に抑えの石毛博史とともに“勝利の方程式”として2年連続52試合に登板。プロ通算9勝のうち8勝をこの2年で稼いだが、95年以降は再び故障に泣いた。