そのスタイルは今も変わっていない。市役所で職員たちが顔色を窺い、考えを先回りすることを東は嫌う。だから同じ表情を心がけている。東が唯一、組織のマネジメントで迷った時に相談するという、ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス人事総務本部長の島田由香は、東に目指すリーダーの資質を聞いたことがある。

「絶対的に信頼されるためには異常値がない、ブレないことだと話していました。そのために一つひとつのことに嬉しいとか嫌だとか感じないように感情を整えるようにしていると」

 東は中学時代に読んだ雑誌「Newton」で核融合炉を知り、未来のエネルギー問題の解決に繋がると希望を抱いて京都大学では物理学を専攻、大学院では原子力の研究をするつもりだった。

 だが、大学院進学直前の11年3月、東日本大震災が起きた。研究室の仲間とテレビにかじりついた。非常用電源を喪失したら何が起きるのか、次の展開は誰もが理解していた。的確な指示が出せない政府。行政にもっと適性のある人材がいたら……研究室の本棚にあった国家公務員受験用の参考書を手に取った。1次試験まで2カ月を切っていたが、合格した。

市役所の市長室のデスクには書類一枚ない。職員の説明資料などはその場で頭に入れるので、常にデスクも部屋も整理整頓されている。記憶力、理解力は誰もが一目置く(写真=楠本 涼)
市役所の市長室のデスクには書類一枚ない。職員の説明資料などはその場で頭に入れるので、常にデスクも部屋も整理整頓されている。記憶力、理解力は誰もが一目置く(写真=楠本 涼)

■外務省で見えた組織の疲弊 地方から日本を良くしたい

 大学院時代、東は1千社以上の働き方改革のコンサルティングを手がけたワーク・ライフバランスでインターンを経験している。社長の小室淑恵が日課とする毎朝5時台のウォーキングにある日突然現れ、なぜ働き方改革が必要なのかについて小室を質問攻めにした。官僚として社会貢献をしたい気持ちは固まっていたが、社会のために働くとは具体的にどういうことなのか、社会起業家から学ぼうと考えていた。小室も東が官僚になるからこそ、「実態としての幸福とはどういうことか知っておいて欲しい」と思い、毎日息を切らせながら数カ月間質問に答え続けた。

 インターンの契約期間終了前に辞めるという東に、最後の日、小室はこう伝えたという。

「途中で辞めることは社会に出たら許されないけど、私はあなたが大きな目的のために生き急いでいる感じにはシンパシーを抱いている。私も似たような部分があるから」

 東自身にはこの「生き急いでいる感」の自覚はないというが、外務省に入ってしばらくして帰省した際、和子に「自分がやりたい仕事は50代にならないとできないんだよね」と漏らしている。配属された経済連携課は、経済問題が絡む全外交案件に関わってくる部署で、当時はTPP(環太平洋パートナーシップ)協定の交渉最中だったこともあり、「とんでもない量の資料作り」を担当していた。最先端の交渉状況を知ることができる仕事にはやりがいを感じていた。

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