ヴェーバーが説く「政治とは配分」に基づけば、東はそこに一切の妥協を許さず公平性を徹底している。それは権力の本質を自覚しているからだ。特定の議員や住民、市役所職員と食事や飲み会に行くこともない。孤高を貫くのはつらくないのか。そう聞くと、こんな話をしてくれた。
東の両親はお互い再婚でそれぞれ連れ子がいた。それが東の2人の姉なのだが、誕生日が近接しているにもかかわらず、東は社会人になる頃までそのことに疑問を抱いたことすらなかった。それほど両親は3人に対して分け隔てなく愛情深く育ててくれたと。
「僕は一度も自分の存在や言動を家族から否定されたことがない。家は裕福とは言えなかったけど、両親が僕にしてくれたことは、今の世の中では当たり前ではないことも市長をしていたらわかる。全力で肯定してもらえたから、孤独をつらいと感じないのかもしれません」
一方で東が目指すのは「市民を分断しない」政治だ。選挙でも対抗馬の批判を絶対にしないと決め、支持者にもそう頼んだ。コロナ前までは市民との対話を重視し、2年半で80回以上、約2千人の市民と直接話してきた。
東が1期目で一番大変だったという仕事が、学校の統廃合問題だった。先々代市長時代からの懸案事項で、4校を1校にする案に地元からの反対の声は大きかった。結果、2校廃校となったが、その過程で東は連日住民との対話集会を開いた。長い時は4時間、時には怒号も飛んだ。子どもたちとも話した。完全に納得できなくても理解はできる。そこまで説明を尽くすと決めていた。
廃校になる中学校の最後の卒業式で東は祝辞を述べた。用意していた祝辞を開いた時に、「自分を正当化している」と感じ、何度も言葉に詰まりながら準備していたものとは別の言葉を贈った。
「リーダーの仕事とは決断することですが、なぜこの判断をしたのか、胸を張って言えることが大事だと思っています」
2度の選挙を手伝い、今は友人でもあるという選挙プランナーの松田はこう話す。
「彼の描く市長像はヒーローでもないし、ビジョンも語らない。四條畷をどうするのかは市民や市役所職員から上がってくるのを待っている。彼の中にあっても絶対に言わないし、悟られることすらしない」
それは将来、誰が市長になっても市役所が機能的に自律的に動いていくことが理想だと東が思っているからだ。