一方で、同期の半分が1年で何らかの心身の不調を訴えるという過酷な業務量に加えて、「何のための」と疑問を感じるような雑務も多かった。人事部署に異動した際には組織自体の疲弊も感じた。そんな時、今でも東があんなリーダーになりたいと敬愛していた上司が突然死した。49歳だった。
「国家的な視点で国に貢献したいと思って外務省に入っても、年次が上がるほど目の輝きがどんどん現実的になっていくのが見えてしまって。それでも僕は理想を掲げていたかった。当時安倍政権に代わり、地方創生というテーマが出てきて、地方から日本を良くしていくことに貢献したいと思うようになったんです」
■前のめりな改革に反発も 「市民が」を主語に考える
当選前から市の課題を分析し尽くしていた東は、改革を前のめりで進めた。1月20日に初登庁して25日に人事案を発表、2月1日に新人事を決行。ほぼ60代が占めていたという部長クラスを総とっかえした。新人事の象徴とされた37歳の女性の人事課長への抜擢には市役所内に衝撃が走った。
「20年後も現役世代である人間が人事制度や採用を考えるべきだと思いました。部長たちがほぼ同級生というような環境では、悪気はなくても慣性の力でこれまでのやり方でいいよねと進んでいく。そうした状況を変えるには即断即行しかなかった」
東の初当選時の公約の一つである副市長の公募で採用された林有理が10月に就任した時、市役所内には東に対して「恐れ」のような空気が蔓延(まんえん)していたという。次々と改革を打ち出す市長に「すごい」と一目は置くものの、思考スピードについていけない。部長たちの会議で東がしびれを切らして出ていっても、職員たちは沈黙したまま待った。リクルートで住宅情報誌編集長も務めた林は唯一、東に対して苦言も含めて本音の議論ができたが、その林でさえ、朝登庁していきなり振られた新たなアイデアに戸惑うことも多かった。
「市長から課題はあるけど2年ぐらいでできるよねと言われる案件には、『いや、今の状況では4年はかかります』というものも少なくなかった。だから最初はなぜこれほど急ぐのか、正直腹が立つこともあった。職員の士気もシステムも整ってないのに、と」
それでも林が一緒に働いた4年をかけがえのない体験だったと言うのは、東が徹底して市民に向き合っていた姿を見てきたからだという。