ロシア軍の損害3万人
開戦から1カ月後の3月23日にNATO当局者はウクライナ軍の報告などを基に、ロシア軍の戦死者は7千~1万5千人との推計を示している。負傷者は死者の2、3倍になるのが普通で、捕虜も合わせるとロシア軍の人的被害は低めに見積もっても3万人程度だろう。侵攻したロシア軍約15万人の20%を失ったことになる。
ウクライナ軍は陸軍の現役兵力が12万5千人余、別組織の空挺(くうてい)軍が2万人、海兵隊が6千人だから地上戦兵力は計約15万人で侵攻したロシア軍と同等だ。さらに6万人の国土防衛隊、4万人の国境警備隊、18カ月の兵役で訓練ずみの予備役兵が公称90万人もいるから人数は圧倒的に大きい。国産した対戦車ミサイルが7800発、米国などから輸入、供与の高性能対戦車ミサイルも多い。キーウと第2の都市ハルキウを守りぬき、ロシア軍に大損害を与えているから士気も高い。今後もNATO諸国などから兵器が入り明らかに優勢だから、停戦交渉で領土を割譲するのは論外だ。
他方、ロシアは弱小の属国視してきたウクライナに撃退されて敗戦国になればプーチン政権の崩壊ではすまず、大国の地位を失うから外国人傭兵(ようへい)を募り、民間軍事企業も動員、頑強に東南部だけでも確保しようとあがく公算が大きい。
過去の停戦協議を考えると、戦争で一方が極度に不利となるか、あるいは双方が疲れはてれば停戦協定が成立するが、双方が停戦を望んで交渉を始めても、どちらも敗者になることを避けようとして戦闘が続き、交渉を有利にするためかえって激戦になる場合もある。
ベトナム戦争では米軍が本格的に介入したのは1964年8月、停戦交渉はその4年後の68年5月に始まったが、停戦協定が調印されたのはさらに5年後の73年1月だ。米軍はベトナム戦争の後半は大国の面目を保つために戦っていた。
米国は2001年10月からアフガニスタンを攻撃しタリバン政権を倒したが、タリバンは勢力を回復したため、停戦協議が15年5月に始まり、約5年後の20年2月に和平合意が成立。米軍は21年8月に撤退した。20年近く続いたアフガニスタンの戦争では停戦交渉開始から撤退まで7年を要した。ウクライナでの停戦が1日でも早く実現することを望みつつ、早期停戦の難しさを思わざるをえない。(軍事ジャーナリスト・田岡俊次)
>>【後編】「プーチン大統領、なぜウクライナに侵攻? チェチェン紛争での「成功体験」も一因か」へ続く
※AERA 2022年4月18日号より抜粋