2014年に「ホットロード」が能年玲奈・登坂広臣の主演で映画化された際には、主題歌に「OH MY LITTLE GIRL」が使われたほか、尾崎のベストアルバムに紡木の描いたイラストが特典として挿入されたりもした。

 覚せい剤の影響も報じられた謎めいた死を遂げながらも、彼がスキャンダルだけの人という扱いを受けずに済んだのは、こういうものも関係していたのだ。

 もっとも、それは大多や紡木が彼の生み出した音楽に強くひかれたからにほかならない。それゆえ、死後も宇多田ヒカルらによって作品がカバーされていった。その音楽には歌い継がれるだけの独特の魅力があり、それは彼のこんな思いが根底にあったからかもしれない。

「すべての人々が、心に抱えている問題というものに対して、僕ができる唯一の優しさみたいなものを投げかけられたらいいんじゃないかって思ってるから、僕はその場限りで楽しければいいって音楽にはしたくない」(「パチパチ」1986年3月号)

 ただ、そんな思いが彼を生き急がせることにもなり、その生涯を濃密なものにした。普通の人の何倍もの人生を何分の1かの年月で駆け抜けた感じだ。

 いわば、作品の強さと人生の濃さとがあいまって、彼は生きながら伝説的存在となった。そして、それにふさわしい死を遂げることにより、本当に伝説と化したのである。

宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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