このレースで、クロフネはこれも前述のイーグルカフェになんと9馬身差の圧勝。しかも勝ちタイムは1分33秒3という芝並みの破格タイムで、当時のJRAレコードを1秒以上も塗り替えるものだった。
続くジャパンカップダートも直線で独走状態となり、前年の勝ち馬ウイングアローを7馬身もちぎり捨てる圧勝。この勝ちタイム2分5秒9もJRAレコードだった。残念ながらこのレースを最後に故障で引退してしまったが、無事に古馬となっていれば日本史上初の海外ダートG1制覇の偉業はクロフネが達成していたかもしれないと、当時を知る競馬ファンなら今でも無念の思いとともにその雄姿を思い出すのではないだろうか。
4頭目は、クロフネより1歳年下(つまりイーグルカフェとアグネスデジタルからは2歳年下)のアドマイヤドン。母は二冠牝馬ベガ、兄アドマイヤベガはダービー馬という超良血馬で、自身も01年にデビュー3連勝でG1朝日杯フューチュリティステークスを制したエリート馬……だった。
しかし期待された3歳春は皐月賞7着、ダービー6着と不発に終わり、秋の菊花賞も4着どまりでクラシックは無冠のまま終了。ここで陣営はデビュー戦で圧勝したダート路線に活路を見出さんと盛岡でのJBCクラシックに挑戦し、アドマイヤドンは見事に期待に応えて勝利した。
続くジャパンカップダートは1番人気に推されるもイーグルカフェの激走の前に3着。翌年からはほぼダートに専念し、フェブラリーステークスや南部杯、帝王賞を勝ったほか、JBCクラシックは3連覇を達成した。ただしジャパンカップダートだけは03年が米国の伏兵フリートストリートダンサーの2着、04年もタイムパラドックスの2着と勝ちきれず。04年末には有馬記念で久々の芝レースに出走したが、ゼンノロブロイの7着だった。
以降はしばらく芝とダートの両G1を勝つ馬は現れず。2010年に皐月賞と有馬記念を勝ったヴィクトワールピサは翌11年に日本調教馬初のドバイワールドカップ制覇の偉業を成し遂げたが、当時のドバイWCはオールウェザー開催だった。