アグネスデジタルはさらに2003年の安田記念も制覇。ダートでG1制覇後に芝のG1を勝ったのは後にも先にもアグネスデジタルただ1頭だけだ。
アグネスデジタルから遅れること1年。芝ダート二刀流で頂点に立ったのが同世代のイーグルカフェだった。4歳(旧馬齢表記)だった2000年の春に芝のNHKマイルカップでG1初制覇を果たした後はなかなか勝ち星に恵まれず、4歳になってからはダートのフェブラリーステークスにも挑戦したが、それも8着に終わるなど結果が出なかった。
それでも長く現役を続け、6歳となった2002年の夏にG3七夕賞で2年2カ月ぶりの白星をゲット。その秋にはフランス遠征を敢行して芝中距離のG2ドラール賞で3着と善戦した。そこからの帰国初戦に選んだのが、G1ジャパンカップダート。ここまでにダートは7戦して重賞での2着こそあったものの未勝利とあって5番人気に過ぎなかったが、世界的名ジョッキーのランフランコ・デットーリ騎手の好騎乗もあって断然人気だったアドマイヤドンらを下してダートG1馬の称号も手にした。
余談だが当時のジャパンカップダートは土曜日開催で、デットーリ騎手は翌日に行われたジャパンカップも9番人気のファルブラヴで制覇。2日続けて伏兵でのG1勝利はデットーリ・マジック炸裂と日本のファンを感嘆させた。
続いて紹介するのは、イーグルカフェとアグネスデジタルの1歳年下にあたるクロフネ。3歳春まではNHKマイルカップ制覇に外国産馬の出走が限定解禁されたダービーでの5着など、同世代のアグネスタキオン、ジャングルポケットと並んで3強と称されていた。
芝の王道路線を歩んでいたクロフネの運命が変わったのは、その秋のこと。天皇賞(秋)を目標としていたクロフネだが、当時は2頭しか外国産馬の出走枠がなかった同レースにメイショウドトウと前述のアグネスデジタルが参戦したため、クロフネは路線変更を余儀なくされる。そこで陣営が選んだのが、天皇賞前日のダートG3武蔵野ステークスだった。