さらに家畜の種類も減った。
「乗用や運搬用として使われていた馬とラクダは車やバイクに取って代わられた。食用の家畜についても、羊だけとか、1種類しか飼わないのがふつうになった」
アラタンホヤガさんの少年時代は、馬に乗れないのはあり得ないことだった、という。
「ところが、いまは馬に乗れない子どもが当たり前なんですよ。馬を怖がる子どもも少なくない。昔、祭りで行う競馬では子どもが乗っていましたが、いまでは、体重が軽い大人が乗ることが多いです」
その祭り自体も観光化してしまった。競馬は祭りの華だが、作品にはそれを撮影しようと、草原を疾走する競馬馬にトヨタや日産の高級な四輪駆動車が並走する様子が写っている。
祭りでは競馬のほか、暴れ馬を人に慣らすイベントも行われるようになった。
「暴れ馬慣らしは私が子どものころは各家庭でやっていました。でも、いまはやる人がいないからわざわざ祭りで行っている。そこにカメラ好きの金持ちがやってきて撮影するようになった。それをいくら文化だといっても、違うんじゃないかなあ、と思うんです」
■死にゆく言葉
遊牧文化が失われるとともに、家畜に関する言葉も消えていった。インタビュー中、それを繰り返し嘆くアラタンホヤガさんの姿が強く印象に残った。
「例えば、子ヒツジにしても、言葉一つでそれがオスかメスか、お母さんが死んでミルクで育ったようなことまで分かるんです。でも、いまの子どもたちは分からない。モンゴル語としては残っているけれど、遊牧の文化から離れてしまったから理解できない。言葉の大事な意味が忘れられて、死んでいく」
ちなみに、中国のモンゴル民族は新疆(しんきょう)ウイグル自治区や甘粛省、青海省などにも住んでいる。アラタンホヤガさんは19年に新疆ウイグル自治区を訪ねると、うれしい発見があった。そこには鉄条網のない草原が残されていた。
「彼らはまだ日常的に馬を使っていました。車で移動中、番犬を連れて、馬車に乗ったおじいさんと出会ったんです。私が子どものころの内モンゴルもこうだった。でも中学生のころ、この風景はなくなってしまった。すぐに車を止めて、撮影したんですけれど、すごく感動しました」
モンゴル系の民族はロシアにも住んでいる。アラタンホヤガさんはロシアにも足を運び、断片的に残されている彼らの日常生活や文化をレンズを通して記録していきたいという。
(アサヒカメラ・米倉昭仁)