ここでのガバナンスは、透明性が保証された、不祥事を起こさない組織づくり、不祥事を起こしたときに対応できる指示系統、といった意味合いが込められる。
ガバナンスは企業経営で多く用いられる概念だ。「コーポレート・ガバナンス」のあり方を問いただすとき、その企業の「経営陣が企業倫理や社会規範を順守し、組織の健全性、透明性、誠実性」が重要なテーマになる。たとえば、脱税、粉飾決算、不正経理、贈収賄などの不祥事への対応、説明責任だ。
■不祥事の温床になる制度や体質をあらためる
大学についても、2000年代に入ってガバナンスという概念が浸透しはじめている。「あの大学のガバナンスはどうなっているのか」と問われたとき、大学トップの専横を許した、大学の一部局あるいは一職員の失政を止められなかった、というケースが多く見られた。
失政について生々しい話がある。
08年、いくつかの大学がデリバティブ(金融派生商品)による資産運用に失敗している。リーマン・ショックに端を発したアメリカの金融危機によって、とんでもない額を失った。当時の報道によれば、駒澤大154億円、立正大148億円、慶應義塾大225億円などの損失や評価損を出したのである。これほどの巨額損失を許した大学の甘い体質が問われた。
私立大は国からの私学助成を受けている。こうした損失の責任はどこにあるのか。大学に対する信頼を失うものであり、しっかりしたガバナンスが求められるのは当然のことだった。
このほかにも、大学ではガバナンスが問われるさまざまな問題が起こっている。不正入試、論文改ざん、研究費不正、セクハラ、パワハラなどだ。
東京医科大、日本大で起こった不祥事を繰り返させてはならない。そのために、「学校法人ガバナンス改革会議」は、不祥事の温床になるような、大学の旧態依然の制度や体質をあらためる政策を打ち出し、大学のガバナンス=統治をしっかり機能させようとしたのである。