哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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私の道場では週1度座卓を並べてゼミをしている。私は病的な出不精(でぶしょう)で、ほとんどの時間を原稿を書くか、古い本を読むか、古い映画を観(み)るか、武道の稽古をして過ごしているので、正直言って今の日本社会で起きていることをよく知らない。もちろんメディア経由で情報は入るが、それは今日本のシステム内で働き、子どもを学校に通わせ、地域社会とかかわっている現役世代の口から聴く証言の生々しさには遠く及ばない。
先日の発表は「どうして日本のオヤジたちはこんなにダメなのか」という身もふたもないタイトルのものだった。発表者はもちろん女性である。その一言一言にゼミに参加している女性たちが深く頷(うなず)いていたから、これは彼女たちにとって最も切実かつ最も悩ましい主題であるにもかかわらず、メディアではまず取り上げられることがないことなのだろう。
「男たちがダメになった」歴史的理由、制度的理由、家庭的理由などが列挙されたが「これだ」という決定的なものは見いだせなかった。
私見によれば、日本の男たちは「世界標準に追いつけ」というキャッチアップ型の目標設定があるときは自分の中の地域限定性や歴史的後進性にかなり自覚的であり、それと世界標準との不整合に「苦しむ」ということがある。そういう男たちはなかなか考え方も柔軟で、そこそこ視野も広い。しかし、とりあえずの目標が達成されると、「世界標準に合わせて自分を変える」ということに対して激しい抵抗を示すようになる。
もともとが「苦役」なのだから、目標達成した以上「もう努力なんかしたくない」という本音が出るのは当然である。
近代日本では、明治維新から日露戦争まで、敗戦から高度成長までが「キャッチアップ」期に相当する。そして、それぞれそれ以後男たちは「システムを変えること」には惰性的に取り組みはするが、「自分を変える」ことには全く興味を示さなくなる。そして、おのれの幼児性、土着性に居着くようになる。
という思いつき仮説を私が申し上げたら、女性聴講生たちはこれにも深く頷いていた。ほんとにそうなのかもしれない。
内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
※AERA 2022年5月16日号