小林さんは以下のように分析する。
「制服というのは『校則』の一部です。学校が生徒の服装を制服に決めれば、生徒はそれに従う。私服の場合、どんな服を着るか、生徒や家庭が判断しなければならない。そのわずらわしさがないので、保護者は制服というルールはあったほうがいい、と考える。制服のほうが『お金がかからない』という思いもかなり強いでしょう」
女子生徒のブレザーとスカートで3万630円というデータもある(『隠れ教育費』<太郎次郎社エディタス>から)。成長期の子どもが高額な制服を買い替えることを考えると、家計負担の低減につながるかは、疑問符がつく。
また、「制服がないと経済格差が可視化されて、差別やいじめにつながる」というコメントも多かったが、小林さんはこう主張する。
「経済格差についての主張は何十年も前からありました。『いつも同じ私服を着ているのは、服を買えないほど貧しいから』と言われるわけです。しかし、こうした階層差を制服で見えなくしたところで、根本的な問題の解決にはつながらないと考えます。そもそも、ほかの人と違うところを尊重しましょう、というのが教育の重要な柱の一つであって、ほかの人と違うから差別される、いじめられるから制服を着ましょう、というのは教育の放棄にほかなりません」
「制服は楽だ」という声のほか、「風紀の乱れ防止」(鳥取・高3女子父)など、集団生活での制服の必要性を挙げる人も同じくらい多かった。
「私服にすると、服装に歯止めが利かなくなる、という意見もありますが、実際、私服の学校の生徒たちがとんでもない服装をしているかというと、そんなことはありません。制服を着ることで非行が防げるという論理には無理があるし、そんなことを制服に頼っていいのか、とも思いますね」
■制服は「勉強に関係ない」
近年、「ブラック校則」が問題視され、その一環として制服のあり方を見直す動きも出ている。そんななか、「制服不要」派は、こうコメントした。