4歳でピティナ・ピアノコンペティション全国大会に初入賞。6歳で、門下からピアニストが輩出していた金子勝子(84)に師事し、以後、内外の主要コンクールで次々と成果を収めた。そんな角野の存在は“神童”が集まる教室でも際立っていたと、金子は証言する。

「腕や手首のしなやかな筋力、長く細い指と、抜群の集中力。リズム感、テンポ感、フレーズ感、音色と小さいころから彼ならではのものがあり、勉強もできる。天からさまざまなものを授かっていましたね」

 開成中学、高校に在学中は、数学の研究者か音楽家のどちらかが、将来に対するざっくりしたイメージだった。東大か、藝大か、進学先を迷ったが、周囲に藝大を受ける友人は一人もいない。

「だったらみんなと一緒に塾に通って、帰りにうどん食ったりしながら、勉強したい」

 ということで、14年に東京大学理科一類に入学。工学部計数工学科数理情報工学コースで、音声情報処理を、さらに同大大学院で機械学習を用いた自動採譜と自動編曲を専攻。修士1年の時には、フランス国立音響音楽研究所(IRCAM)に留学し、最先端の音楽情報処理を研究した。

■ピアノにバンドにゲーム 別の人格を持って楽しむ

 この時までは、人生の針は数学方面に振れていた。IT企業でのインターンシップも行い、就職の準備も万全。世の母親が理想とする息子である。

 だが、一筋縄ではいかない角野の感性は、ただ一つの道だけを自分に許さなかった。常に複数のチャネルを持ち、すべてを最高レベルで追求して、楽しみ尽くす。彼の脳と身体には、幼児のころから、その原理が刻まれていたのだ。

 学齢期の前から、クラシック音楽と並行してリズムマシーンに親しみ、そこから「ダンスダンスレボリューション」「jubeat(ユビート)」などの音楽ゲーム(音ゲー)に夢中になっていた。「かてぃん」は、中学生の時に「太鼓の達人」用に作ったハンドルネーム。平仮名4文字という制約の中で、本名の要素をあえてはずして付けたものだ。

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