日が暮れて、福島にたどり着いた。具志堅はやはり結果だけを見据えていた。木村と再会のあいさつもそこそこに、5年前に汐凪の遺骨の一部が見つかった状況を詳しく聞き取った。

 作業初日となった正月2日は、5年前の発見現場周辺を歩き回った。地形を見極め、雨水が流れる経路を頭に描き、作業に着手する場所を定めた。木村が一通りの捜索を終えたと考えていた周辺だ。よく花を手向けに訪れている場所でもある。

 その場所で、開始からわずか20分後、遺骨が見つかった。

 木村には信じられない。具志堅も、信じられなかった。「これは奇跡です。お父さんと娘さんが呼び合った結果です」と声を震わせ、目を伏せた。

■この現場を忘れない

 捜索は3日間続き、最終日は雪が舞った。具志堅はまるで子どものようにはしゃいだ。天に向かって口を開き、「入らないかな」と挑戦している。「沖縄に帰ったら、猛吹雪にも負けず作業した、と自慢しなきゃ」「そういえばペンギンやシロクマを見た気もする」

 木村はにこにこしながらそれを聞いた。「汐凪はにぎやかなのが好きな子だった。こうやってここにみんなが集まって、笑っているのを見て喜んでいると思う」

 具志堅が応じる。「たとえ遺骨が見つからなくても、遺骨に近づこうとする気持ち自体が慰霊になります。祈りが精神的な慰霊だとすると、遺骨収容は行動で示す慰霊です」

 具志堅との縁をつないだのは、木村と10年交流してきたフォトジャーナリストの夫妻、安田菜津紀と佐藤慧だった。ある時、安田が木村をラジオのゲストに招き、中間貯蔵施設を造る環境省が汐凪のことを知らなかった話を紹介した。

 リスナーから、「驚かない」という反応があった。沖縄戦戦没者の遺骨を含む土砂で海を埋め立て、辺野古新基地を造ろうとする政府のやることだから、と。その通りだ、と安田は思った。

 2021年4月、夫妻を中心に運営するNPO法人「Dialogue for People」の取材企画で、木村を誘って沖縄を訪ねた。この時、3人は具志堅に初めて会った。年明けに今度は具志堅を福島に招くことにした。それが、誰も予測し得なかった遺骨発見につながった。

暮らしとモノ班 for promotion
大人のリカちゃん遊び「リカ活」が人気!ついにポージング自由自在なモデルも
次のページ
「人間ってすごい」