原発と基地――「国益」の名の下に犠牲を強いられる「苦渋の地」で今、何が起きているのか。政府や行政といった、権力を監視する役割を担うメディアは、その機能を果たせているのか。福島と沖縄を持ち場とする2人の新聞記者が、取材現場での出来事を綴った『フェンスとバリケード』。福島第一原発事故により帰宅困難区域に指定された福島県大熊町で見つかった子どもの遺骨……。著者で沖縄タイムスの阿部岳記者が取材した福島が今も直面している現実について綴った第14章「呼び合う者たち」から一部抜粋してお届けします。
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■発見
2022年1月2日、福島県大熊町の帰還困難区域で子どもの骨が掘り出された。
「ガマフヤー(沖縄の言葉で壕[ガマ]を掘る人)」具志堅隆松が、黒い土の中に白みがかったものを認めた。長さ3センチほどか。周囲の土を、愛用のねじり鎌でより分けていく。5センチ、7センチ。間違いない。
「木村さん」と声を掛け、後を任せる。
隣にいた木村紀夫が向き直り、スコップで数ミリずつ表土をはいでいく。長い。25センチ。人間の骨で一番長い大腿骨(だいたいこつ)だ。土から取り上げ、両手で包む。
木村はただ、「くーっ」と高い声を発した。笑う。泣く。指は丁寧に丁寧に、骨についた泥をぬぐっている。
「もうちょっと探しましょうか……」。かすれた声。足元を見渡す。「いや、すっげぇ……」
5年前、次女の汐凪の首やあごの骨を見つけてくれたのは、国の収容事業の作業員だった。東日本大震災から5年9カ月が経過していた。父や妻の遺体は見つかったのに、汐凪だけを長く取り残してしまった申し訳なさが先に立ち、涙も出なかった。
首やあごの骨はDNA鑑定で汐凪のものだと判明している。あの時の発見場所から6メートルの距離で見つかった子どもの大腿骨は、汐凪のものであるはずだ。木村は確信した。
やっと自分の手で救い出せた。DNA鑑定に出すと、また手放すことになる。通報して現場確認に来てもらった警察官に、しばらくは一緒に過ごしたい、と伝えた。