その部分はカットされた。放送局の内部で、「俺たちのせいにするのか」と怒りだした人がいたと聞く。電気を使っている全員が当事者にされ、責任を問われるから、心を閉ざして身を守るのだろうか。
大多数の国民が、少数の犠牲の上にあぐらをかいている事実から目をそらし、指摘されれば「逆ギレ」する。政府も多数の支持を頼みに、厄介事を押し込める。
犠牲者は国、東電、そして国民に、繰り返し傷つけられる。
「ここは物を言いづらい状況がある。声はなかなか、届かない」。木村の独白は、多数の県民が不条理に声を上げる沖縄から来た私には、か細いトーンで耳に残った。
■開始20分の奇跡
沖縄で戦没者の遺骨収容を続ける具志堅は、東日本大震災の月命日にある捜索活動がずっと気になっていた。参加するきっかけがないまま2021年4月、沖縄を訪れた木村と出会い、その場で汐凪の捜索の手伝いを申し出た。
「不条理のそばを黙って通り過ぎない」と、具志堅はよく口にする。原発事故も戦争も誤った国策の帰結であり、多数の犠牲者を生んだ。その国が原発の再稼働と戦争準備を進め、過ちを繰り返そうとしている。犠牲者を冒涜し、2度殺そうとしている。
だから福島には、捜索を手伝うためだけに行ったのではなかった。木村と一緒に、不条理を告発するために行った。少数の命を犠牲にして成立する正義など、ない。なるべく長い時間、現場に立ちたかったから、まとまった休みが取れる正月を使うことにした。元旦、那覇空港から福島へ向かった。
同行した私は、隣席の具志堅の行動に驚いた。前の座席の背からテーブルを引き出すや、「骨」を4個転がしたのだ。飲み物を置く丸いくぼみにはまったそれらは、よく見るとプラスチック製の模型だった。
手首に近い所にある手根骨(しゅこんこつ)。塊状で、石ころとの見分けが特につきにくい。具志堅は模型をつまみ上げ、指先で微妙なカーブや突起の感触を確かめては、紙の切れ端に気づいた点を書き込んでいく。紙はいつも持ち歩く手帳に挟んだ。
自宅には全身分の骨の模型がある。夕食後に時間ができると、一部をばらばらにしては組み上げて、と体に覚えさせる練習を繰り返している。客室乗務員の視線は気になったが、具志堅の本気度に対する敬服の念がそれを上回った。