夫は厳しかったけれど、私が仕事することを心から応援してくれた人でした。当時の芸能界は、家庭との両立が難しい部分も大きかったけれど、夫が良い方向に導いてくれた。帰りの時間が遅いのも当たり前の業界だったけれど、夫は「当たり前じゃない」とテレビ局と交渉し、契約書も全てチェック。「あくまで家庭がメイン」「土日は仕事しない」「必ずその日のうちに帰ること」などルールが多くて「そんなふうにはできない」と泣きべそをかきながらやってきましたが、逆にそうやってきたから今があるんだと思います。

 そんな夫に認知症の症状があらわれたのは、彼が80代を迎えるころのこと。少しずつ症状が進行し、記憶障害に始まり、暴言やひとり歩きも増えていきました。夫が亡くなるまでの10年間、介護してきたことを話すと、多くの人から「大変だったでしょう」と言われるんだけれど、今振り返ると良い思い出しかないのよ。体も大きな人だったし、世話をするのも一苦労だったはずなんだけれど、大変だったことは全然思い出さない。

 夫は最後、自分に合った介護施設を見つけることができて、快適に過ごしました。奇麗で快活な女性スタッフが多く、ベランダ付きのゆったりした部屋がある施設で、諦めずに探して本当に良かったと思っています。

 今も、朝起きるとき、夫が隣にいるのが当たり前という感覚で目が覚めることがあります。「いなくなっちゃったんだ」ってショックなんだけれど、あのころと同じ感覚が残っていることが嬉しいとも思う。

 そうそう、夫が好きで共用で使っていた香水を最近つけられるようになったの。夫が亡くなってからは嗅ぐのも嫌だったんだけれど、今は出かけるときに香りをまといます。そうすると一緒に出かけているみたいで安心するの。そうやって少しずつ、夫の思い出と寄り添いながら過ごしていこうと思っています。

(構成/フリーランス記者・松岡かすみ)

週刊朝日  2022年6月3日号

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