下重暁子・作家
下重暁子・作家
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 五月晴れの中、知人を偲ぶ会が開かれた。コロナで二年遅れたので三回忌でもある。「岸辺のアルバム」など山田太一作品をはじめ、多くの作品を演出した、元TBSの堀川とんこうさんである。

 名を呼ばれ壇上に上がって、マスクを外した。マスクをかけたままでは失礼という気もしたし、とんこうさんに私だとわかってもらうためである。

「マスクをかけたままでは失礼」という礼儀がかつては存在した。都内の大病院でも、受付の女性がマスクのまま対応すると、患者から失礼だという苦情が出たというから、様変わりである。

 コロナ禍以後、マスクをしていないと失礼といわれるようになった。

 今また、マスクをするか外すかの論争があるが、そもそもなぜマスクをするのか、原点にもどって考えてみたい。

 マスクは、風邪や疾患のある人が他の人にうつさないためのものであった。健康な人が、他からうつされないためにつけるのが常識になったのは、コロナ以後である。

 最近は自分がうつすことを防ぐ面が薄れてきたように思う。

 だから居酒屋などで、上司の発言に声を合わせて笑う人も絶えないし、ジムのジャグジーの中でマスクを外して大声で話す男性も目立つ。

 そういう人からは出来るだけ離れ、着替え室での会話にも、私は参加しない。

 人と連れ立つことをやめれば感染の確率は減る。そのかわり、マンション内の緑豊かな空間では出来る限りマスクを外し、大きく深呼吸する。すれ違う人さえいない中で、新鮮な空気を目いっぱい吸うことができる。

 犬の散歩をしている人や、宅配便の若者、一人きりの車内でさえ、きっちりマスクをしている。他人にうつされないためだとしたら、あまり意味がない。

 しかし白い目で見られかねないから、私はいつもポケットにはマスクを一枚、いつでもかけられる状態にしておく。それで十分。マスクを外すのも換気の一種ではなかろうか。

 渋谷のスクランブル交差点を一年ぶりで通ったら、人の多さにうんざり。こういう中では常にかける必要はあるのだろう。

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