朗読や影絵などもされていて、私も東京オペラシティに見に行ったことがあるけれど、東大時代のよき文学と哲学の香りそのままに、小沢さんは作品を作ってきたんだな。

 教授とも「友達」といい、いまだ交流があるという。

「米文学の柴田元幸先生とは、今も仲いいんですけど、もともと彼のエッセイとかが好きで、だからあっという間に友達みたいになってしまった。彼も音楽大好きだから、本当に話が合ったし、先生んちに行って、もういらないよというレコードをもらったりして」

 唖然(あぜん)とした。私の夢見ていた学生生活を、ひょいと軽々やっていた。教授なんて、知的レベルの雲の上と思っていたのに小沢さんはそのレベルにひょいと行って、サロンみたいに交流していたのだから。

 対談をしながら、彼の作品を奥深くしている根底の何かが学問であることを確かめ、それが東大という場で生まれたことにうれしくなった。東大よ、よかったな。

 そして東大キャンパスにオザケンがいただけで、学問の生かされ方の無限の可能性が証明された気がする。

 ブランドなんか関係ない。自分が何が好きでどう生きたくて、どう沼になれるか。それは東大だからいいわけでも、東大じゃないからだめなわけでもない。たぶん、そうたいして変わらない。興味を炸裂(さくれつ)させ、学び、自ら生み出しもする、そのバランスというのは大事で、どちらも寝る間も惜しんでやったひと、オザケン。

 東大生よ、私の分まで、オザケンたれ。

AERA 2022年6月6日号