また、裁判や労基署に訴えた後同じ会社で働き続けるというのも、かなりタフな人でないと難しいというのが、今の日本社会の現状ではないでしょうか。

「今は労基署に訴えることよりも、自分の心と体を守ることを優先したほうがいいと思うのだけど」
 と、私は言いました。すると、クライアントは、
「それなら、もう少し今の上司のところで耐えたほうがいいのでしょうか」
 と、聞いてきました。

 この方は今、疲れ切って「生きる自信」も極端に低下した状態にいます。今の上司のところで耐えるという案は、「耐えたい、頑張りたい」という、自分に対する自信をなくさないための、この人なりの選択肢です。

 私はクライアントの気持ちや意見を否定しないように細心の注意を払いながら、次のように話しました。

「今回の件で、この上司は注意を受けるなど環境改善もあったから、本来のあなたの力なら、耐えて仕事を続けることもできる。でも今は残念ながら、消耗して疲れ切った状態。まずは回復してからでないと、頑張ることも難しいと思うよ」

 この時のカウンセリングは数回にわたり行われましたが、結果的にこのクライアントは異動を受け入れ、新しい環境で仕事を続けるという、現実的な選択肢を自分で選ぶことができました。

■現実社会では「戦うよりも逃げるが勝ち」

 パワハラ上司の性格は変わらないし、変えられません。また、被害者自身の「耐える力」もすぐには変わりません。

 また、一度「攻撃する、される」の関係になると、お互いがそれを記憶してしまい、どうしてもその後の生活の中で、その関係性は再現されやすくなります。

 結局、どうにかしようとするよりも、「離れる」のがお互いのためなのです。

 パワハラの被害を受けたら、怒りのままに相手をやっつけたくなります。その気持ちはわかりますが、それで、本人が幸せになるかどうかは別です。

 多くのケースを見てきましたが、現実の社会では、戦うよりも逃げるが勝ち。

 逃げながら、上手に自分の怒りの感情と疲労をケアして、おだやかな日常を取り戻した方が「幸せ」に近いのです。

(取材・構成/向山奈央子)