小林清親は人を沢山登場させて、ザワザワした文明開化の時代の空気感を描きます。僕は人を登場させないで、人の存在を想像させる夜景を描きたいと思ったのです。子供の頃、夜、映画館から出た時は、人が沢山いたけれど、それが家に近づくに従って人気が全くなくなって、自分の歩く下駄の音だけが自分を追ってくるような気がしました。そんな淋しい郷里の町の光景を描こうとしたのです。「Y字路」のモチーフを発見したのは、正に郷里に帰った時の夜に遭遇した、小学校へ行く途中にあるY字路がモデルになって、その後のシリーズに発展していったのです。

 日本の近代絵画の中で、ひとつ挙げるとしたら、長谷川利行のあの自由奔放な、半ばヤケクソで描いたような、ヘタウマというか、ウマヘタな、どの絵も未完のまま放置したような無責任さと、原始的というか野性的な、その精神に憧れますが、酒を呷って描いたような筆が酔っぱらったドーピングアートですね。素面であの絵は中々描けそうにないですが、僕は酒が全く飲めないので、意識というコップ一杯の水でどう酔っぱらうかですね。理性と感情を上手くコントロールさせながら、この正反対の情念をどう表現するか? が問題。すると岡本太郎みたいな絵になっちゃいますかね。岡本さんの場合、手は肉体にまかせていますが、脳は理性的で、文明人が野蛮人を演じているような、演じていないような、見る者もこの二つを分けて見ている自分に気づいて、時々、あゝわからんとなります。絵はともかくとして岡本さんという人間は面白いです。絵によく似た人です。冷めた部分と熱した部分と明晰とオトボケの部分がゴッタ煮で、太郎さんの秘書、ミューズ神の平野敏子さんがあやつり人形師に見えました。この敏子さんがまた、太郎さんに輪をかけて、面白い人で、敏子さんの作品が岡本太郎なのか、太郎さんの作品が敏子さんなのか、その境界線は塗りつぶされているのでよくわかりません。お二人共、すでにいらっしゃらないので、何とでもいえますが、日本の美術界も岡本太郎の扱いには困っているんじゃないでしょうか。日本美術の序列に入りにくい岡本太郎は、存在が作品を超えて、作品を認めるか、岡本太郎という存在を評価するか、どっちや、とまあそんな画家はどこにもいませんがね。日本美術に興味があっても日本回帰はヤですね。

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰

週刊朝日  2022年6月24日号

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