国内外の広告クリエイティブを分析してきた河尻亨一氏
国内外の広告クリエイティブを分析してきた河尻亨一氏

三浦:ようするにフリマだね(笑)

小林:ノリとしては、廃ビルを占拠してるみたいな感じでした。カッコよくいえばデンマークのクリスチャニア(自由区)みたいに。昔はキャバレーや学習塾が入っていたビルですが、通りがかりの人も結構、面白がって入ってきてくださって、それで味をしめて本格的にやろうということになった。

■「ていねいな暮らし」が共感を生んだ00年代

河尻:「ゆるい」「ボロい」「スカスカ」などは、第四の消費を語る上でのキーワード。それは三浦さんのなかで、どういうプロセスをへて消費社会論に発展していったんですか?

三浦:高円寺の風景に衝撃を受けて、99年に会社を辞めてからは、それこそ毎日のように高円寺、下北沢、原宿、代官山などの街を歩いて写真を撮り、気づいたことをキーワード化する中で全体像が見えてきたんです。

 簡単に言うと、そこで目にしたものは、近代化する日本が否定した価値観ですよね。近代化時代には、着るものはパリッと新品を着たい、クルマも新車を買いたい、家も新築がいいという価値観だった。それが古着や古民家、フリマ、ボロいカフェなんかがいい、ということになってきていたのがすごく新鮮に感じられた。

 古い建物が面白いと思ったきっかけは馬場正尊さんです。彼がR不動産を始める前に一緒に中目黒なんかを歩いて、ボロいビルがカッコいいことに気づいた(三浦展『ヤバいビル』参照)。ブルースタジオのリノベーション本を見ても、「高円寺の月1万8000円のぼろアパートが6万円で貸せるようになった」なんて書いてある。リノベが普及していった最初の10年は、非常に面白かったですね。

河尻:小林さんにも、お店を始めて最初の10年くらいで感じた世の中の変化を聞いてみたいです。我々がいま「第四の消費」という言葉で言い表そうとしている新しいカルチャーは、2000年代にどう広まっていったのか。

小林:オープン当初は上の階はまだ空っぽで、それほど人の流れが多くはなかったんです。それで、上にカフェがあると、人の流れができていいなと思ってイデーから独立したばかりの知人に相談したら、元同僚がカフェをやりたがっていたから話してみようと。

 その人が3階のスペースを見てひと目ぼれしてくれて、2000年に「フロア(FLOOR!)」というカフェが始まり、そこが雑誌『ポパイ』の表紙で取り上げられたあたりから、都心からのお客さんも来てくれるようになりました。

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「クウネル族の時代」の到来