そして不思議なのは、これだけ考えのある女性なのに、宮内庁はなぜ「ご近影」しか公表しないのかということだ。佳子さまに限らず、女性皇族は誕生日にあたり写真とビデオだけが公表される。昨年12月1日の愛子さまの21歳の誕生日もそうだった。お二人とも可愛らしく「ご近影」に心が和むが、それだけってどうだろうと素朴に思う。

 天皇陛下は大学卒業以来、誕生日ごとに記者会見を開いてきた。秋篠宮さま紀子さまは、令和になる前は秋篠宮さまの誕生日にお二人で記者会見に臨んでいた。清子さんも文書で回答していたことを思えば、若い皇族の考えていることを直接国民に伝えることをしないのが不思議でならない。

 宮内庁ホームページを見ると、22年9月の悠仁さまの16歳の誕生日に「悠仁親王殿下16歳のお誕生日に当たり」という文章が公表されている。宮内庁皇嗣職の名前で、近況をかなり長く説明したものだ。同年3月の「悠仁親王殿下 お茶の水女子大学附属中学校ご卒業に当たり」に続く第2弾で、悠仁さまについての情報発信は積極的にしていくという方針が読み取れる。

「将来の天皇」であればこそ、と理解する。が、佳子さまや愛子さまにも広げても全く問題ないはずだ。むしろ「悠仁さまだけ」は昨今の感覚とはだいぶ遠く、モヤモヤしてしまう。

■せめて文書での回答を

 広報室には記者会見が難しければ、せめて文書回答を実現してほしい。佳子さまも愛子さまも12月生まれだから、広報室がスタートする4月からでも十分間に合うと思う。年に1度、お二人が“今”をどうとらえているのか国民に語る。「虚偽の情報による誹謗中傷」を減らす有効な手立てになるはずだ。

 最後に清子さんの話に戻る。朝日新聞の報道を追うと、25歳の誕生日(1994年)以来、毎年文書回答をしていた。報じられているのはほとんど自身の結婚についての回答で、「結婚」の文字が記事から消えたのは00年、31歳の誕生日だった。20世紀最後の年に消えたという事実に、女性をめぐる時代の転換点を実感する。

 02年の33歳の誕生日には、宮内記者会が「女性皇族の立場や役割」について質問している。これへの回答は短い新聞記事でなく、結婚直前に出版された『ひと日を重ねて 紀宮さま 御歌とお言葉集』から引用する。

<私の場合、(略)これまであまり女性皇族ということを意識することも少なかったように思います。ただ、内親王という立場は、先行きを考えるとき、将来的にその立場を離れる可能性がどうしても念頭にあるため、中途半端に投げ出してしまうことのないように、継続的な責任ある立場に就いたりすることは控えてきたということはあるかもしれません>

 私はこの言葉で、初めて女性皇族の生きづらさのありかに触れた気がした。「男系男子による皇位継承」の世界で、「結婚すれば皇族でなくなる」立場だから、責任ある立場に就くことを控える。公務に励んだ清子さんを「働く女性」と捉えれば、切ない言葉だ。

 それから21年。次代を担う女性皇族の話を聞いてもいい頃だと思う。(コラムニスト・矢部万紀子

AERA 2023年1月23日号

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