この時期の「斑鳩」は創業10年を迎え、テレビなどの取材にも引っ張りだこだった。九段下の本店に続き、11年4月には東京駅一番街の「東京ラーメンストリート」にも新店をオープンすることになり、白岩さんは副店長に任命される。今がチャンスとここから一気にギアが入った。
ラーメン作りには正解がない。学べど学べど、何が正解かわからないのだ。そこで白岩さんは、「坂井さんになろう」ということに決めた。とにかく坂井さんの真似をする。所作だけでなく、考え方まで坂井さんになりきろうとした。
「同じ人間を目指すレベルで近づこうとしましたが、真似ができた感覚は一度も持てませんでした。すべてを真似してみることで、自分には届かない存在だということに気づきました」(白岩さん)
年齢による体力の厳しさにも気づいた。体力のあるうちに独立しなければという危機感から、修行期限を5年にしてもらい、全力で働いた。
東京駅の出店2年目からは店長になり、15年まで勤め上げた。坂井さんになれないのならば、自分らしさを磨かなくてはならない。開業に向けて資金を貯め、食べ歩きを続けながら、家で試作する日々が続いた。
いよいよ独立をと考えていた矢先、白岩さんは離婚を経験する。財産分与で開店資金も不足し、とても独立できる状況ではなくなってしまった。
精神的に落ち込んでいた白岩さんに手を差し伸べたのが、「斑鳩」の坂井さんだ。「もう少し『斑鳩』にいたらどうだ」と声をかけてくれた。白岩さんはアルバイトとして店を手伝いながら、独立に向けて試作や物件探しを続けたという。
■個人店の「人間味」に憧れ 開店1年でミシュラン獲得のラーメン店主のこだわり
独立に向けてどんなラーメンを作るか模索するなかで、白岩さんは個人店の“人間味”にフォーカスすることにした。近年はオペレーションの簡素化を狙いオートメーション化する店が増えてきたが、人間味があるからこそ個人店は強い。現場に立ってすべてを手作りすることが貴重な存在になるのではないかと考えた。
この考えを強固にしたのが、栃木県佐野市を訪れ、佐野ラーメンを食べたときだった。
「佐野で手打ちのラーメンを食べて、これぞ自家製の極みだと感動しました。“手打ち”の素晴らしさを再確認したんです。食材で個性を打ち出すのではなく、基本を掘り下げていくことでそれが個性になるんだということを確信しました」(白岩さん)