■「風景の人」だった時代
井村さんは「学生のころからずっと、途切れることなく日本の風景を撮影してきた」と言う。
「『風景の人』と思われていた時代もありました」
それは1996年に風景写真家・竹内敏信さんのアシスタントを卒業したころ。
「当時は露出度的には風景写真のほうが多かったですから、周囲に『動物の写真を撮っている』と言うと、驚かれました。事務所の後輩、福田健太郎と『四季の写真』(学研)で風景写真対決みたいなのをよくやっていた」
そんな話を聞いて、とても意外だったのは、「竹内事務所でアシスタントをしながら風景を撮っていたのは、ぼくくらいしかいないんです」。
日本では自然風景、海外では野生動物と、撮り分けをするようになったのはこのころからという。
当時、事務所では1~2カ月に1回、合評会を開いていた。
「アシスタントたちが作品を持ち寄って、先生に見てもらうんです。ぼくは竹内事務所にいた4年間で2回、野生動物を撮りにケニアに行ったんですが、それ以外は休みの日に風景写真を撮っていました」
■風景でも動物でも変わらないテーマ
アシスタント時代によく通っていたのが日光・杉並木(栃木県)。
「実は、専門学校で竹内ゼミにいたころから日光に通っていたんです。夜中に行って、三脚を立てて、ストロボやライトで杉並木を照らして撮っていた」
井村さんの夜の風景の撮影は、もう30年以上前から続いてきたのだ。
ちなみに、井村さんが初めてアフリカのサバンナに生きる野生動物の写真展「ALIVE-マサイマラのハンター-」を開催したのは1999年。
「それから4年おきくらいに写真展をやっているんですけれど、それからだんだんと『動物を撮る人』という感じになって、ここ10年くらいは動物がメインになりました」
そう言うと、井村さんはこう続けた。
「ぼくのいちばん大きなテーマは『野生』。人が関わらない手つかずの自然がテーマですから、撮影対象は野生動物であったり、自然風景であったりするんです」
(文=アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】井村淳写真展「小さな国の大自然」
竹内敏信記念館・TAギャラリー 7月2日~7月26日