とっぷりと日が暮れて、闇の世界へ。濡れた窓ガラス越しの光景のように見える風に揺れる木々。近くのビルの姿が窓ガラスに反射し、それがさらに足元の水溜りに写り込んでいる。水面に浮かぶ星や星雲のような街の明かりの輝き。投げ捨てられたたばこの吸い殻。
青い光に照らされた寝静まった住宅街。次第に水溜りの映り込みの世界が薄れ、小さくなっていく。その上を流れる車のライト。
作品は渋谷で写した雑踏の風景で終わる。通り雨。明るい日差し。足元に見えるはずの映り込みの世界を気にとめる人は誰もいない。
そこでふと気づいた。自分もその一人だと。考えてみれば、歩いているときに水溜りに映る風景を意識したことがない。(濡れたら嫌だな)と思うくらいで、避けて通るだけだ。
しかし、中津原さんは水溜りを見つけるたびに立ち止まる。
きれいだな、と思ってカメラを向けると、意外と面白くなかったりする
正直、インタビュー前は「水溜りの写真……かわいらしいテーマだな」くらいにしか思っていなかった。ところが、話を聞くと、この世界、想像していた以上に奥が深い。
「水溜りというのは出合いなんです」と、中津原さんは言う。
それはどういう意味なのか? たずねると、「ねらって撮りに行っても、水溜りはなかなか撮れないんです」と、説明する。
「アスファルトやコンクリートの地面だと雨が降っても天気がいいとすぐに乾いてしまうし、思うような場所に水溜りができるわけでもないですから」
そんなわけで、ほかの撮影で出かけた際に偶然、水溜りを見つけ、写すことがけっこう多いという。
水溜りを目にしたら、まずその縁に腰を下ろす。水面をなめるように観察して、「この角度なら写る」ことを確認する。
「歩いていて、きれいだな、と思ってカメラを向けると、意外と面白くなかったりするんです」
逆に一見、つまらなそうな水溜りでも「しゃがんでのぞき込むと、いい風景が映り込んでいることがよくある。だから、水溜りを見つけると、まずしゃがんむ。『変な癖のある人』みたいに見られているかもしれません」(笑)。