写真家・渋谷敦志さんの作品展「GO TO THE PEOPLES 人びとのただ中へ」が11月5日から東京・品川のキヤノンギャラリー Sで開催される。渋谷さんに話を聞いた。
今回の写真展は渋谷さんが1999年にMSF(国境なき医師団)フォトジャーナリスト賞を受賞して写真家となって以来、世界各地の紛争や飢餓、自然災害の現場で必死に生きる人々の姿を写してきた、いわば集大成である。会場には約20年にわたって撮影された作品約90点がほぼ時系列で展示される。それを丹念に見ていくと、力のこもった内容もさることながら、そこに渋谷さんの葛藤や内面の変化がにじみ出ているようで興味深い。
世界中を飛び回って、カッコいい仕事をしたい
展示は受賞直後に訪れたエチオピアから始まる。その取材について、渋谷さんは「すごく楽しかった」と、赤裸々に語る。
「しんどかったですけれど、写真を撮ることの醍醐味みたいなものを十分に感じましたね。過酷な山岳地帯を歩いて、肉体的に追い込まれることで目の前の世界に入って行くようなところがあって、『こうやって写真は撮るんだ』と思いました」
それまで写真は、「自分の意思で切り取ってくる」ものだと思っていた。しかし、「世界に触れる、というのはこういうことなんだな」と実感した。それが「写真家としての原体験」となった。
そして、「ここまでは楽しかった」と、ぽつりと言う。次に訪れたアフリカ南西部の紛争地、アンゴラではそれまで目指したものが一瞬にして吹き飛ばされた。長い長い葛藤の日々が始まった。
「それまでは戦場カメラマンに対する憧れとか、冒険心があったんです。国境を越えて、世界中を飛び回ってね、そういうカッコいい仕事をしたいな、と思っていたんです。自分が住んでいるところからできるだけ遠く離れた世界に身を置いて、自分がどこまで成長できるのかとか、そんなモチベーションがあった。けれど、いざそれをやってみたら、もう写真なんて撮っている場合じゃないと思ったんですよ。ショックで。それから写真に対する前向きな気持ちというのがなくなっていった。写真を撮るのがしんどくなった」
戦場カメラマンに憧れていた自分が嫌になった
アンゴラで何を目にしたのか? たずねると、「人がたくさん死にました。目の前で」と、言葉少なに語った。そんな渋谷さんを前に、それ以上のこの話を聞く気にはなれなかった。
私は昔、米軍にいわゆる従軍取材をした経験がある。まるで映画のように血走った目で銃を撃ちまくる兵士。行く手を阻む残忍な仕掛け爆弾。爆撃で吹き上がる土煙。そのなかで、日々捨てられる生ゴミのように死んでいく人々(ほんとうにひどい表現だが、まさにそんな感じだった)。私たちが目にする紛争地の映像の向こうには、その1万倍くらいひどい現実があった(誇張でもなんでもないつもりだ)。たぶん、渋谷さんもそんな光景をアンゴラで目にしたのだと思った。
「飢えた人とか、死んでいく人にカメラを向けるって、ちょっと異常なことだなと思いましたね。ぼくはそういうものを撮りたくて写真家になったのに、彼らにカメラを向けることがすごく怖くなった。そこに意味を見いだせなくなった。まったくの部外者であるぼくがそこに行っていきなりカメラを向ける行為を正当化できる理由なんてないですから。そういう現場に憧れていた自分も嫌になった。だから、何度も写真をやめようと思いました。写真をやめて、人道支援の仕事をしようと本気で考えました。撮るより救う仕事。そういう葛藤が30半ばくらいまで、10年くらい続きましたね」