2月上旬、公園で息子たちと遊ぶ、広津の姿があった。長男(9)は体力があり、かけっこをしても、運動不足のパパは追いつかない。次男(6)はやんちゃ盛りで、いっしょにシャボン玉を楽しんでいたかと思えば、池の方へ飛び出していく。寒風の中、顔もそっくりな彼らは、“三兄弟”のように走り回り、広津の額に汗が光った。

「家では子煩悩な、ただのパパ」と文代は笑う。

 ふと、彼に聞いてみた。線虫の嗅覚で嗅ぐと、人間がどう匂いますか?と。

「線虫は進みたい方向にスーッと動く。でも人間は、『みんなが行く方にいかないと、不安だよね』みたいな雑念が混じって、合理的で正しいと思った方向に進めなかったりする。生物の中で見ると、人間って、とても変わってますよ。ずいぶんゴチャゴチャした環境の中で生きているなあって」

 人間社会にまみれたからこそ、彼の思考は研ぎ澄まされる。新天地で勝負する経営者の、揺るぎない行動を下支えするのは、線虫的な達観なのだ。

(文中敬称略)

■ひろつ・たかあき
1972年 山口県生まれ。京都府京田辺市で育つ。幼稚園の頃から野球に夢中になり、小学生時代は少年野球チームでピッチャーをしていた。好奇心が旺盛で、星座や百人一首は全て暗記。上に姉がいて、下の子らしく要領のいいところはある。親に勉強しろと言われたことはないが、夏休みの宿題は「最初の10日間で全て終わらせるタイプだった」。
 88年 全国有数の進学校である私立東大寺学園高校に入学。成績優秀で東京大学医学部受験を勧められたが、「親が医者じゃないし、医学に特別の興味もなかった」。生物の研究を志したのは、高校3年生の時、通っていた塾の先生に「これからの時代は生物学だ」と言われたことがきっかけ。
 91年 東大理科二類に入学。「モテたい」と入ったテニスサークルが楽しくて、授業よりもテニスに明け暮れていた。3年になり専門が分かれ、理学部生物学科へ進んでからは、実験に夢中になった。現東大教授の飯野雄一の勧めで4年から線虫の研究を始める。
 97年 東大大学院修士課程修了。サントリーに入社。職場の居心地はよく仕事も楽しかったが、「線虫の研究をやり残した」との思いがあり、1年で退社。東大の研究室に戻る。
2000年 線虫の嗅覚について書いた人生初の論文が「ネイチャー」に掲載される。
 01年 東大大学院博士課程修了。
 04年 京都大学大学院生命科学研究科ポスドク研究員。
 05年 九州大学大学院理学研究院生物科学部門助手(07年に法改正で助教と名称変更)。
 13年 においでがんを見分ける研究「がん探知犬」がヒントになり、“がん線虫検査”の研究を始める。
 15年 「線虫による尿を使ったがん診断」という論文を米科学誌に発表。
 16年 HIROTSUバイオサイエンス設立。
 18年 一般社団法人「Empower Children」代表理事に就任。
 20年 1月、線虫がん検査「N-NOSE」を実用化。

■古川雅子
ノンフィクションライター。上智大学文学部卒。専門は医療・介護、がん・認知症・難病と暮らし、科学と社会、コミュニティーなど。本欄では「再生医療研究者 武部貴則」ほか多数執筆。

AERA 2020年4月6日号

※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。

暮らしとモノ班 for promotion
「更年期退職」が社会問題に。快適に過ごすためのフェムテックグッズ