大学進学後、母は東京の息子宛てに手料理を密閉容器に入れ、京都からクール便で送り続けた。テニスサークル仲間だった井上伸(47)は、広津が一人暮らしをしていたワンルームを訪れた時、肉料理だの、野菜料理だの、冷凍庫におかずがギッシリ詰まっていたのを見て、驚いたという。

 学部時代、広津は「黄色に近い金髪」で、「最初はヤバいやつなんじゃないかと思った」(井上)。授業よりもテニスにのめり込んだが、大好きな実験だけは、欠かさず出席していた。

 大学4年の時、広津が入ったのは「酵母」の研究室だった。米国帰りで、現東大教授の飯野雄一が、「線虫の研究をやらないか?」と勧めてきたものの、当時、生物学では酵母のテーマが全盛期。学生たちは誰一人、線虫に見向きもしなかった。だが、広津だけは「面白そう!」と飛びついた。研究室でただ一人、線虫を飼い始める。

 井上によると、広津が仲間たちと酒を飲む時のお決まりの行動があったという。わいわい馬鹿騒ぎしていても、夜半過ぎに「時間なので、じゃあ」と帰っていく。最初は怪しんで、「待っているのは彼女か?」と井上が聞くと、広津は答えた。

「えっ、ちがうよ。線虫の世話があるんだ」

 線虫が“相棒”という日常だった。

 東大大学院修士課程修了後は、「青いバラ」の開発に興味を持ち、サントリーに就職した。「人気の就職先だった製薬会社よりも『枠にはめられない感じ』に惹(ひ)かれた」のだという。だが蓋(ふた)を開けたら、自身の希望とは異なる、お茶の開発部門に配属された。「将来の枠が決まる」ことを恐れた。また、「大学で、研究を途中で投げ出してしまった」との思いも拭いきれなかった。1年で退職し、東大の研究室に出戻ることになる。

 その後、博士論文を仕上げるために選んだテーマが、線虫の嗅覚(きゅうかく)だ。線虫を使った研究で、「Ras(ラス)」という、細胞増殖などにかかわるタンパク質が、実は嗅覚神経で匂いを知覚するはたらきにも関与していると証明されれば、斬新な発見になることはわかっていた。ただし、手掛かりになるデータはごくわずか。手探り状態で実験を始めると、「あれよあれよという間に、いい結果が出始めた」。00年、人生初の論文が、「ネイチャー」に掲載される。

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