勉強して脳が発達すれば思考力が生まれ、自分の意思が表現できるようになり、少なくとも児童兵は減る。平和教育の大事さを身をもって知り、ルワンダ退任後に国連職員の試験を受け、ユニセフに配属になった。ユニセフ教育専門官として、07年からスリランカ、ハイチ、フィリピン、マリなど紛争や災害で学校に行けない子どもたちに教育を受ける機会を作り、テキスト、歌、演技、スポーツなどを通し「平和教育」を教えている。支援国を転々とする井本を、宍戸は、ドラマ「ドクターX」の主人公・大門未知子のようだと言った。「群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器」というナレーションを耳にするたび、井本の姿が浮かぶと語る。宍戸の言葉に井本は照れた。

「オリンピックに辿りつくまでの努力を考えたら、今の仕事はまだ道半ば。それに水泳では金メダルを獲れなかったので、人道支援の道で世界一になりたい。私にとっての金は、すべての国の子どもたちが学校に行けるようになることですね」

 途方もない挑戦に、井本は再び気力を奮い立たせた。(文中敬称略)

■いもと・なおこ
1976年 東京都江東区に生まれる。3歳で門前仲町のスイミングプールで泳ぐ。小6の時に学童新記録を樹立。
 89年 大阪の近畿大学付属中学校に入学。中2でジュニア日本代表に選ばれる。中3の時にオーストラリアに短期留学。
 92年 近畿大学付属高校入学。バルセロナ五輪選考に落選。
 94年 10月、アジア大会の50m自由形で優勝。400mリレーで日本記録を樹立。
 95年 慶応義塾大学総合政策学部に入学。
 96年 アトランタ五輪に出場。800mリレーで4位。200m自由形は予選敗退。五輪後、米サザンメソジスト大学留学、国際関係論を専攻。
 99年 12月、サザンメソジスト大学を卒業、慶大に復学。
2000年 シドニー五輪の選考に漏れ、4月、現役を引退。慶大在学中から執筆活動を開始。01年に卒業。参院議員・橋本聖子の秘書。
 02年 英マンチェスター大学大学院に入学。サッカー観戦三昧の日々。
 03年 マンチェスター大学大学院を修了。「貧困・紛争・復興」で修士号取得。JICAのインターンとしてガーナ共和国に派遣される。
 04年 9月、JICAシエラレオネ企画調査員として従事。事務所開設に貢献。現地で農業指導も行う。
 05年 JICAルワンダ企画調査員として従事。ジェノサイドの現場で、子どもたちへの平和教育の必要性を実感。
 07年 外務省のJPO(ジュニアプロフェッショナルオフィサー)に合格し、その後国連職員に。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)やDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)の活動も志望していたが、第1志望のユニセフに配属。10月、スリランカに赴任。スマトラ沖大地震と内戦で壊滅状態になった現地の子どもたちに教育の機会を作る。除隊した少年兵の心のケアも。
 10年 ハイチへ。22万人以上の死者を出した大地震直後の現地は悲惨を極め、テント生活を送りながら子どもたちのケアに奔走。  11年 4月、東日本大震災で被害を受けた岩手、宮城で、教育部門の支援を担当。
 13年 12月、フィリピンへ。史上最強の台風で壊滅的な被害を受けたタクロバンで教育支援活動。
 14年 9月、内紛が続く西アフリカのマリ共和国へ。気温40度の地域で子どもたちに平和教育を徹底するため、自ら教材も作る。提案した「平和コンクール」のイベントは評判を呼んだ。
 16年 難民問題が深刻化したギリシャに赴任。渡航希望国で生活できるよう道徳教育などにも力を入れる。

■吉井妙子
スポーツジャーナリスト。宮城県出身。朝日新聞社に13年勤務した後、1991年からフリーとして独立。著書に『松坂大輔の直球主義』『天才を作る親たちのルール』など多数。

AERA 2020年3月23日号

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