札幌大通公園のブロンズ像と市電の競演。朝の通勤時、国鉄札幌駅に向かう市電は満員だった。三越前~グランドホテル前(撮影/諸河久:1967年10月3日)
札幌大通公園のブロンズ像と市電の競演。朝の通勤時、国鉄札幌駅に向かう市電は満員だった。三越前~グランドホテル前(撮影/諸河久:1967年10月3日)

■北都にネットワークを築いた札幌市電

 札幌の路面電車は明治期に創業した札幌石材馬車鉄道がそのルーツとなる。その後、市街地の発展にともない、札幌電気軌道による路面電車が1918年に開業した。1927年には市営化され、札幌市電として親しまれてきた。戦後の最盛期には、札幌駅前からすすきのを結ぶ西四丁目線を始めとする10線区の営業距離が25100mに及び、市電のネットワークが構築されていた。軌間は1067mmで、一部の路線の除き複線で敷設されていた。電車線電圧は600V。札幌市電もモータリゼーションと地下鉄路線延伸の影響を受けて、1971年から1974年にかけて一条線、山鼻西線、山鼻線の3路線を残して、大部分の路線が廃止された。

 この3路線を環状化する計画が2015年に実現して、新たに都心線が開通した。バリアフリーの新型低床車両も導入され、好評裡で環状運転が開始された。さらに本年4月からは、上下分離方式により誕生した札幌市交通事業振興公社による市電運行が実施されている。

■札幌市電に導入された路面ディーゼルカー

 札幌の写真は、観光客で賑わう大通公園のオブジェを前景にして、西四丁目線を走る市電を狙った作品。経年で退色したカラーポジフィルムをデジタルリマスターで復色した一コマだ。「ソビエト革命映画祭」の立て看板に時代を感じる。

上空には架線が無く、未舗装道路に埋った二条の軌道が朝日に輝く。ラッシュの行列を横目に「マツダT1500型」三輪トラックが走り去った。新琴似駅前(撮影/諸河久:1967年10月3日)
上空には架線が無く、未舗装道路に埋った二条の軌道が朝日に輝く。ラッシュの行列を横目に「マツダT1500型」三輪トラックが走り去った。新琴似駅前(撮影/諸河久:1967年10月3日)

 次のカットが、ラッシュアワーの新琴似駅前風景だ。筆者の訪問時、鉄北線の北二十七条~新琴似駅前は非電化路線で、国内で唯一の「路面ディーゼルカー」が活躍していた。カメラをディーゼル市電に向けると、ファインダーの中に7系統三越前行きに乗り込む通勤客の長い列が飛び込んできた。

北海道で最初の路面電車が走った函館市

 1897年、函館市の旧弁天町~旧東川町に創業した亀函馬車鉄道(1898年に函館馬車鉄道となる)が、函館市電のルーツとなっている。東京市電の魁(さきがけ)となった東京馬車鉄道が技術関与していたので、軌間は東京と同じ1372mmを採用したと推察される。後年、函館馬車鉄道を継承した函館水電が1913年に馬車鉄道を電化して、北海道で最初の路面電車が走り始めた。その後経営主体が帝国電力→大日本電力→道南電気軌道と変わり、戦時中の1943年に函館市営になった。

 戦後の最盛期には6路線17800mの営業距離だった。経営改善のため1978年から始まった路線縮小で、現在は10900mの営業距離となっている。全線複線で敷設され、電車線電圧は600V。函館市交通局は2011年4月から函館市水道局と統合し、函館市企業局交通部として路面電車の運営にあたっている。
 

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