湯の川線を行き交う3系統の函館市電。背景の家並は疎らで、駒ケ岳山麓が遠望できた。駒場車庫付近(撮影/諸河久:1967年10月11日)
湯の川線を行き交う3系統の函館市電。背景の家並は疎らで、駒ケ岳山麓が遠望できた。駒場車庫付近(撮影/諸河久:1967年10月11日)

 函館の写真は、函館競馬場に近い湯の川線の駒場車庫付近で行き交う3系統十字街行きと湯の川行きの市電だ。函館市電は経営合理化のため、1968年6月からこの3系統でワンマン運転を実施している。

■名物ササラ電車の里帰り

 最後のカットは、北国の風物詩ともいえる函館市電の「ササラ電車」が都民に披露されたイベントの一コマだ。2011年8月に創業100周年を迎えた東京都交通局が、記念特別展「東京の交通100年博~都電・バス・地下鉄のいまむかし~」を2011年7月14日から江戸東京博物館で開催した。その目玉展示物である「函館のササラ電車」が、76年ぶりに里帰りして話題となった。このササラ電車の出自は旧東京市電の「ヨヘロ型」で、1934年3月に発生した函館大火で多くの車両を失った函館市電が、東京市電から急遽購入した45両の中古車両の中から、ササラ電車に改造された一台であった。大正初期の車体構造を今に伝える貴重な車両で、博覧会終了後は函館に戻り、現在も冬季除雪の任務に就いている。

東京都交通局の記念特別展で展示中の函館市電のササラ電車。その出自は大正期のヨヘロ型だった。ちなみに、ヨは四輪単車、ヘはベスチビュール装備(運転台前面風防)、ロは大正6(ロク)年に車体新造の略号。(撮影/諸河久:2011年7月13日)
東京都交通局の記念特別展で展示中の函館市電のササラ電車。その出自は大正期のヨヘロ型だった。ちなみに、ヨは四輪単車、ヘはベスチビュール装備(運転台前面風防)、ロは大正6(ロク)年に車体新造の略号。(撮影/諸河久:2011年7月13日)

 2001年に札幌市電と函館市電は「北海道遺産」に選定された。札幌市電は新たに都心線をサイドリザベーション方式で敷設して、環状運転が実現している。函館市電も「函館ハイカラ號」運転に代表される観光客誘致に力を注いでいる。

■撮影:1967年10月3日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)など。2019年11月に「モノクロームの軽便鉄道」をイカロス出版から上梓した。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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