以前、学校で、親が同意した同級生の家に泊まるというイベントがあったらしい。知人が伝え聞いた話によると、ふつうは泊まらせてもらう子供の親が、泊めてくれる家の親に対して、「お世話になります」などの挨拶があるのに、Qくんの母親からは何もなかった。もともと子供の行動に、興味がなさそうな人だったという。

 いくら子供に興味がないといっても、親としての最低限の責任はある。たしかに虐待はなさそうだし、身なりもいい。そうさせているところが、今時の母親である。自分の子供が他の子に見劣りするような格好はさせたくないのだ。しかし外見ではわからない食事に関しては無関心。成長期の子供が、毎日、菓子パン、カップ麺、カップ焼きそば、回転寿司ではやはり問題がある。それなりにお腹はふくれるだろうが、Qくんが食事の時間を見計らって、友だちの家を回っているのは、家庭の御飯が食べたいのと、みんなと食べたいからではないのだろうか。

「最初にうちに来たときも、作ったのは焼きそばなんです。焼きそばなんてインスタントで食べ飽きているのではないかと思ったんですが、本当にむさぼるように食べていて、びっくりしました」

 彼にとってはやはりカップ焼きそばより、同じ焼きそばでも友だちのお母さんが作ってくれたもののほうが、ずっとよかったのだろう。

 その後、どうなったかは聞いていないが、現状を知ったQくんの母親は、どう思ったのだろうか。ただで食べさせてもらってラッキーと思うか、友だちの家で食べないように、息子に渡す金額を増やすか、金額はそのままで、絶対に友だちの家には行くなといい渡すか、それとも少しは息子のために、料理を作るようになるか。それはわからない。他人が、

「あなたはこうしなさい」

 と指示できるものでもないし、親子の間で考えてもらうしかない。

 最近は家で食事ができない子供たちのために、こども食堂があちらこちらに作られているが、そういう場所が近くにあったらいいのにと思う。最初、ニュースでこども食堂を知ったとき、レアケースのような気がしていたが、実はそうではないのだと、今回の話でよくわかった。こういっては申し訳ないが、昔は食事が食べられない人たちは、外から見ても何となくわかったものだった。しかし今は身なりはいいけれど、実は貧困などのさまざまな問題を抱えている子供がいる。外見だけでは判断しづらくなってきたのだ。

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