高1で、私設ファンクラブを全国規模で組織。きっかけは、CDショップの店頭に置かれた交流ノートだった。同じバンドのファン同士が一冊のノートに書き込みをしていて、まずは地元の人とつながって集まりを持った。それでは物足りなくなって、雑誌に「私設ファンクラブ始めました」と投稿し、文通相手を全国に募集。北海道から沖縄まで200人の友人と文通し、1年ぐらいかけて交換ノートを回した。家の外のつながりは、唯一ほっとできる逃げ場所でもあった。

 高3の時、宝塚を舞台にした小説にハマると、匿名で小説を投稿できる会員制サイトを開設した。登録者数は全国で2千人にも上る盛況ぶりだった。

■経営難で貯金がゼロに、希望は子どもを持つこと

 高校卒業後は女子美術大学短期大学部に進学。女性を好きになるセクシュアリティーをはっきりと自覚したのは、19歳だった。開設したサイトのオフ会で出会った女性に恋をした。初めて恋愛した相手であり、初めて失恋した相手にもなった。

 長村の失恋は騒動に発展した。失恋のショックで、その日、長村は自宅に帰らなかったのだが、それを心配した母が、長村のアドレス帳にあった知人に手当たり次第連絡を入れたのだ。長村は、一人の年上の友人に、セクシュアリティーのことも、フラれて失意にあることも話をしていた。母から連絡が来たその年上の友人が、そのことを洗いざらい母にバラしてしまったのだ。

 母に頼まれた友人が、長村をファミレスに呼び出した。友人の隣には母がいて、「心臓が飛び出るぐらいびっくりした」。友人は、自分より母の年齢に近く、娘を心配する母の気持ちに共感してつい、話してしまったのだと弁解した。母には小学生の頃に一度話したきりだった兄の暴力が、もう10年も続いていたことも伝えられていた。長村はパニックになった。母と帰宅したもののいたたまれなくなり、長村は家を飛び出した。暗がりの中、荒川まで自転車を飛ばした。一時は「身を投げて死のう」と思い詰めた。

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母の無理解、経営不振・・・苦難の末に見出した希望とは