そもそも、長村が付き合った恋人は、子どもの話を持ち出すと、誰一人首を縦に振らなかった。
「子どもが欲しいという望みを言い出すのは、カミングアウトよりも怖かった」(長村)
15年にまみ子と出会う。店の常連客だった。まみ子はそれまでの恋人とは違った。
「子どもを欲しいという気持ちは、おかしいことじゃない」
「生まれてくる子との血のつながりはさと子だけでも、自分は構わない」
長村は「あたらしい家族」をつくる未来が見え、親へ切り出した。「法的な結婚はできないけれど、私、この人と結婚式を挙げる」と。
この時、唯一理解を示したのは、父だった。
「お前が選んだ人生なんだろ?」
まみ子との出会いから半年後、60人の参列者に囲まれて2人は結婚式を挙げた。
司法書士で、こどまっぷ共同代表のゆきこ(37)は、昨年、会を一般社団法人化するなど組織固めに注力した。こどまっぷの活動には、もう一つ大きな思いがある。17年、会のメンバーとして活躍した女性が、産後に出血が止まらなくなり、待望の我が子を一度だけ抱いて亡くなった。誰よりも子の誕生を待ち望み、精子提供者と綿密に連絡を取り合い、妊活に際してはバックアップの得られない日本の産科体制の中でもがき、ようやく掴み取った幸せの絶頂の直後の出来事だった。
長村とゆきこは、彼女の死後、遺された家族と子の父親とのトラブル収拾にも尽力した。そうした場で何度も突きつけられたのが「普通の」という言葉だ。普通の出産、普通の子育て……。仲間を失い、複雑に絡み合う家族の葛藤を前にし、長村の覚悟が決まった。「この状況を乗り越えるには、世の中が変わるしかない」「彼女の遺志を受け継いで、会の活動を前に進めるんだ」と。
自分よりもみんなのために動こうと決めてからは、テレビ、新聞、雑誌と、あらゆるメディアで発信を始める。NHKをはじめ、メディアに顔を出してLGBTQの妊活や子育てを語るのは、日本では長村が初めてだったという。