親の意向で小2から家庭教師がつき、お嬢様校として知られる都内私立小学校の編入試験を突破。小3からは電車で片道1時間かけて通学した。地元の友達はいなくなり、私立小では編入生のくせに生意気だと噂が立ち、「速攻でいじめられた」。

 三つ上の兄から暴力を振るわれるようになったのは小4の時。19歳まで10年間も続くことになる。おなかを何度も強く蹴られたことさえあった。男性に対して、力で勝てない恐怖心が芽生えた。当初、母親に打ち明けたものの、「さと子の考えすぎで、気のせいかもしれない」。長村自身、母を傷つけたくなくて、抑え気味に事実を伝えたため、母も大ごとには捉えなかったのかもしれない。ただ、長村自身は母の言葉を受けて、「この話題は、言ってはならないことなんだ」と暴力の話題は封印。大勢の家族が食卓を囲む中、少女時代の彼女の頭をぐるぐると巡ったのは、<この事実を私が言ったら、家族が壊れちゃう>という思いだ。母は子ども部屋に簡易的な鍵を付けてはくれたが、引き続き兄の暴力はエスカレートしていった。

 祖母からは「女であること」を常に押し付けられた。「女の子はこうあるべき」「あなたの格好は女の子なのに下品よ」と。

 長村に暴力を振るっていた兄は、一時期、そんな祖母宅に引き取られて暮らした時期がある。

「うちは完全に機能不全家族。あんなに広大な場所に家があったのに、誰の居場所にもなっていなかった。私に残ったのは疑問符だけです。かぞくって何だ? 結婚って何だ?って」

 兄の件では放置の姿勢を貫いた母が、学校外の娘の友達関係などを過剰なほど心配したため、「管理されている」と感じた。ピアノ、プール、お絵描き教室、書道、それに家庭教師……と、塾や習い事でスケジュールを詰め込まれていた。

 自分というものがない「心の穴」を唯一埋めてくれたのは、当時ハマっていたビジュアル系バンド。兄の暴力は続いていたが、次第にバンドのファン同士のつながりに癒やしを求めていく。

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女性に初恋 失恋を機に生じた悲劇