街を歩く。路地を這うように往く。「旅はあまり好きじゃない、早く帰りたくなるから。路上でつかんだ感覚を一刻も早く文章にしたくなるから」(撮影/東川哲也)
街を歩く。路地を這うように往く。「旅はあまり好きじゃない、早く帰りたくなるから。
路上でつかんだ感覚を一刻も早く文章にしたくなるから」(撮影/東川哲也)
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『宝島』の登場人物にはモデルがいる。ウンタマギルー(運玉義留)という古い沖縄民話に登場する義賊、沖縄のチャプリンといわれた喜劇人・小那覇舞天、映画「ベスト・キッド」のモデルとなった伝説の空手家・宮城嗣吉(しきち)などだ(撮影/東川哲也)
『宝島』の登場人物にはモデルがいる。ウンタマギルー(運玉義留)という古い沖縄民話に登場する義賊、沖縄のチャプリンといわれた喜劇人・小那覇舞天、映画「ベスト・キッド」のモデルとなった伝説の空手家・宮城嗣吉(しきち)などだ(撮影/東川哲也)
強風にさらされながら、シーグラスを子どもたちが探した。この砂浜はシーグラス収集で知られた浜らしく、真藤が事前に調べてきていた。お気に入りのシーグラスが見つかると、子どもたちは歓声をあげて真藤と妻に報告にきた(撮影/東川哲也)
強風にさらされながら、シーグラスを子どもたちが探した。この砂浜はシーグラス収集で知られた浜らしく、真藤が事前に調べてきていた。お気に入りのシーグラスが見つかると、子どもたちは歓声をあげて真藤と妻に報告にきた(撮影/東川哲也)
「小説家になれなかったら、中学か高校の国語の教員になっていたかも」と語る。大学時代から、下戸だがバーテンダーのアルバイトを9年間も続けた(撮影/東川哲也)
「小説家になれなかったら、中学か高校の国語の教員になっていたかも」と語る。大学時代から、下戸だがバーテンダーのアルバイトを9年間も続けた(撮影/東川哲也)

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 沖縄を舞台に、アメリカ統治下時代から日本復帰までを描いた『宝島』は、平成最後の直木賞を受賞。たちまち22万部となった。7年かけて書き上げたこの小説は、真藤順丈にとって葛藤の連続だった。沖縄出身でない自分が書いていいのだろうか。取材で沖縄を歩くと、エイサーの響きが聞こえ、路地が暴れ馬に見えた。メモを片手に、突き動かされるように街を歩いた。
 
 「えっと、戦果アギヤーを書いた真藤です」

 照れながら自己紹介をすると、百数十人でほぼ満席の会場は沸いた。

 今年2月、那覇市の中心地に店舗を構えるジュンク堂書店那覇店で催された真藤順丈(42)のトークイベントは急遽、増席をしたほどの事前申し込みがあった。

 実は昨年6月、真藤が『宝島』を出版したときにも同じ場所でトークイベントが行われたが、当時は10人前後の参加者しかいなかった。『宝島』の舞台は沖縄。この本が直木三十五賞(第160回)を受賞したことで、「ご当地」でも弾けたというわけだ。

 その10人のうちの一人だった球陽堂書房メインプレイス店店長・新里哲彦(61)は、真藤に「これは直木賞を取りますよ」と話しかけたという。

「だって小説ではありますが、当時を生きた人々の言葉が乗り移ったように沖縄の戦後がリアリティーをもって書かれていて、感情移入できましたから。うちの店だけでも1300冊以上が売れました」

「戦果アギヤー」とは、「戦果をあげる者」という意味の沖縄の言葉。戦後の窮地を生き抜くために米軍基地から物資をかすめ取り、横流しをした一群のことだ。真藤はこの戦果アギヤーの少年たちを主人公に『宝島』を書いた。

 戦後、アメリカ統治下時代の沖縄で戦果アギヤーとして深い絆で結ばれていた仲間たちが、沖縄返還までの20年間を力強く生きていく物語。この英雄譚に、1959年に宮森小学校へ米軍機が墜落して児童ら17人が死亡した事故や、70年、アメリカの圧政に耐えかねてコザ(現在の沖縄市)で起きた「コザ暴動」などの史実を盛り込んだ。瀬長亀次郎や又吉世喜などカリスマ政治家から有名ヤクザまで実在の人物も登場する。当時を生きた世代なら、行間から人間の声が聴こえてくるのかもしれない。

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