■内地から見向きされない、沖縄の声をすくい上げねば

 だが、小説を書く手はたびたび止まった。沖縄は今でも戦後と連続していることに衝撃を受けたからだ。特定秘密保護法や共謀罪、安保法制ができ、時代が後戻りできない暗渠へと押し流されていくという実感を得た。その間ずっと、沖縄の「声」は一顧だにされていなかった。

「戦後の日本を考えていくと、いつも決まって沖縄にたどりつく。最初は沖縄の青春小説を書きたくて、政治へのカウンター的な要素を含んだ小説を書こうとは思ってなかったけど、主人公が成長していくにつれて否応なく、当時の時勢にはね返されてしまう部分があった。内地から見向きされない沖縄の声をすくい上げなければ、この物語は書き上げられないと確信した」

 沖縄の歴史を受け止める覚悟が足りず、編集者から沖縄と向き合わなくてはダメだと諭されたこともあった。こうして『宝島』は約7年を要してゴールにたどりついた。たどりついたものの、沖縄の中部あたりの方言に標準語を織りまぜた物語の台詞が、現地でどう受け入れられるかも不安の一つだった。「ヤマトンチュ」である自分が沖縄の物語をエンターテインメントとして書くことに当の沖縄で反発を招くのではないかと呻吟していた。真藤にとっては「沖縄の魂の領域に飛びこむような挑戦」だった。

 18年6月に『宝島』が発売されると、その年の山田風太郎賞を受賞、今年1月に直木賞を、4月には沖縄書店大賞受賞と高く評価され、発行部数22万部というベストセラーとなった。

 現在、真藤を担当している講談社文芸第二出版部の大久保杏子(39)は、7年間待ち続けた歴代の担当編集者の思いをこう話す。

「ベタですが真藤順丈の才能を信じた、ということに尽きます。唯一無二の物語を紡げる数少ない作家だと感じ、その自分の感覚に自信を持っていたからです」

 映像制作会社時代に出会い結婚した妻も、安堵を見せる。

「うつ的状態の時は本人はかなりつらかったと思います。今でも本人がそう言いますし。部屋に一人にすることを不安に思ったりしました。どんなにつらくても落ち込んでも、良い小説を書くことでしか苦しさから逃れられないと思ったので、応援し続けるしかないと考えました」

 真藤は沖縄の取材中に心が折れそうになると妻に電話をして、励ましと安堵をもらっていた。

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